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安居院義道

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安居院 義道(あぐい よしみち、1789年(寛政元年)1月 - 1863年 9月25日(文久3年8月13日))は江戸期の農業指導者及び報徳運動家。号は乾坤斎(けんこんさい)・磯翁(きおう)・蘆翁(ろおう)、本姓は藤原氏。通称は庄七(しょうしち)で出生地の秦野市ほか報徳関係者の間では「安居院庄七(あぐい しょうしち)」として知られる[1]

略歴

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その他

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  • 姓は「あぐい」の他「あごい」「あごいん」との読みも伝わっており、諱は「ぎどう」と音読みもされた。
  • 安居院のやり方はしばしば強引・無理難題と形容され、報徳思想ではないのではないかと疑問を呈されることもある。

関連項目

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  • 草山貞胤 - 同じく現在の秦野市出身で報徳思想の普及に努めた。
  • 浅田有信(勇次郎) - 安居院の実弟で同じく報徳思想の普及に努めた。

脚注

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  1. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 21頁。
  2. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.46

出典

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  • 鷲山恭平『報徳開拓者 安居院義道』(大日本報徳社 1953年)
  • 井上静男「安居院庄七と報徳」『秦野市史研究 第1号』(秦野市 1981年)
  • 若槻武行『協同組合の原点「報徳」を広めた安居院庄七』(秦野市農業協同組合 2009年)

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