妙福寺 (大田区)
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妙福寺 | |
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山門 | |
所在地 | 東京都大田区南千束2-2-7 |
位置 | 北緯35度36分04.4秒 東経139度41分29.9秒 / 北緯35.601222度 東経139.691639度 / 35.601222; 139.691639 座標: 北緯35度36分04.4秒 東経139度41分29.9秒 / 北緯35.601222度 東経139.691639度 / 35.601222; 139.691639 |
山号 | 星頂山(せいちょうざん) |
宗旨 | 日蓮宗 |
本尊 | 三宝祖師 [1] |
創建年 | 寛永年間 |
開基 | 日慈 |
正式名 | 星頂山妙福寺 |
別称 | 御松庵 |
法人番号 | 4010805000289 ウィキデータを編集 |
妙福寺 (大田区)の位置(東京都区部内) 妙福寺 (大田区) | |
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妙福寺(みょうふくじ)は、東京都 大田区 南千束2丁目にある日蓮宗の寺院。旧本山は身延山久遠寺。
歴史
[編集 ]当寺院は、もともとは洗足池の池畔にあった鎌倉時代に創建された「御松庵」という庵に由来する。[1] 御松庵は日蓮ゆかりの草庵である。日蓮が1282年に身延山から、武蔵国(現在の東京都)・池上にある池上宗仲の館(現在の池上本門寺)に向かう途中に、近隣の大池(千束池。現在の洗足池)にさしかかった。その際日蓮はここで休憩を取り、傍の松の木に法衣をかけて(後にその松は「袈裟かけの松」と言われた)、池の水で手足を洗った。(これに因んでこの池を洗足池と言われるようになった[1] )すると、池から七面天女が現れたという。後にこのことを記念しようと七面天女を安置するお堂を建てたのが「御松庵」のルーツである。[1]
一方妙福寺は日慈が、現在の中央区の日本橋馬喰町に寛永年間以前に草創した寺である。[1] しかし、1657年の明暦の大火のなどで本堂などが焼失し、浅草に移転した。[1] その後、1923年の関東大震災でまたも焼失して、1927年に当地に移転。[2] 既存の御松庵を合併という形で、再建された。[1]
主な施設
[編集 ]- 祖師堂(旧七面大明神堂)(天保4年(1833年)の築。国の登録有形文化財[3] )
- 馬頭観世音供養塔(大田区指定文化財)
- 小松稲荷
- 日蓮上人袈裟掛けの松(洗足池の名の由来にもなっている日蓮が袈裟をかけたとされる松。現在では三代目。[4] )
- 日蓮上人像
近隣施設
[編集 ]アクセス
[編集 ]脚注
[編集 ]参考文献
[編集 ]- 大田区教育委員会編『大田区の文化財 第8集 大田区の寺院』 1972年
関連文献
[編集 ]- 斎藤長秋 編「巻之二 天璇之部 千足池」『江戸名所図会』 一、有朋堂書店、415-417頁。NDLJP:1174130/213。