大隈庭園
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大隈庭園 Ōkuma Garden | |
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大隈庭園 | |
大隈庭園の位置(東京都区部内) 大隈庭園 | |
所在地 | |
座標 | 北緯35度42分34秒 東経139度43分19秒 / 北緯35.70944度 東経139.72194度 / 35.70944; 139.72194 座標: 北緯35度42分34秒 東経139度43分19秒 / 北緯35.70944度 東経139.72194度 / 35.70944; 139.72194 |
面積 | 約3,000m2 |
設計者 | 佐々木可村[1] |
運営者 | 早稲田大学 |
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大隈庭園(おおくまていえん)は、東京都 新宿区 戸塚町一丁目にある日本庭園。大隈重信旧邸の庭園で[2] 、早稲田大学 早稲田キャンパスの一角に所在する。庭園の面積は約3,000平方メートル。
歴史
[編集 ]この場所には江戸時代後期の天保年間以降[2] 、彦根藩 井伊家や高松藩 松平家の下屋敷があった[2] 。この時期に築かれた大名庭園が大隈庭園のもととなっている[2] 。池泉回遊式庭園は近江八景をもとにしているという[2] 。
明治維新後、この庭園の所有者は転々としたが[2] 、1874年(明治7年)に大隈重信が入手して別邸とした[2] 。1882年(明治15年)、大隈は隣接地を東京専門学校(現在の早稲田大学)開設のための用地として購入[2] 。1884年(明治17年)に大隈はこの邸宅を本邸とし[2] 、この際に庭園を和洋折衷式に改修している[1] [2] (作庭者は佐々木可村 [1] )。園芸にも熱心であった大隈は、庭園に温室や菜園を設けて洋ランやメロンなどを育てた[2] 。
1922年(大正11年)に大隈が没すると、庭園は早稲田大学に寄付され[1] [2] 、大隈会館の庭園として[1] 一般公開された[2] 。1945年5月の空襲で深刻な被害を受けたが[1] [2] 、戦後ほぼ復旧された[1] [2] 。
庭園内
[編集 ]庭園には広大な芝生、小川、季節の植物、散歩道があり、提灯や小さな石塔、彫像が置かれている。
- 中華民国獅子像
- 1983年(昭和58年)、早稲田大学創立100周年を記念して、台湾校友会から寄贈されたもの。
- エミレの鐘と韓鐘閣
- エミレの鐘は、聖徳大王神鐘(通称エミレの鐘)の約1/2の縮小レプリカで、1983年(昭和58年)に早稲田大学創立100周年を記念して、韓国校友会から寄贈された[2] 。当初鐘は大隈記念講堂内に展示されていたが[2] 、早稲田大学創立125周年を記念して韓国校友会から韓国式の鐘楼が庭園内に寄贈され、2004年(平成16年)に鐘が鐘楼にかけられた[2] 。
- 童子石・文人石
- 朝鮮王朝時代の石像。早稲田大学創立125周年を記念して2007年(平成19年)に高麗大学校校友会会長から寄贈された[2] 。
- 孔子像
- 2008年(平成20年)、中華人民共和国から寄贈された[2] 。設計・製作は山東省政府[2] 。
- 完之荘
- 1952年(昭和27年)、校友の実業家小倉房蔵(雅号が完之)から寄贈された建築物[2] 。飛騨地方にあった古民家[2] 。
- 旧大隈邸門衛所
- 1902年(明治35年)に建設された大隈邸の門衛所[2] 。戦災も免れ、早稲田大学の敷地内で最も古い建築物である[2] 。
- 大隈綾子像
- 大隈重信夫人[2] 。朝倉文夫作[2] 。1927年(昭和2年)に早稲田大学創立45周年記念として、大隈信常により寄贈・建立[2] 。
- 田中穂積像
- 早稲田大学第4代総長[2] 。朝倉文夫作[2] 。1957年(昭和32年)に早稲田大学創立75周年記念として、校友会により建立[2] 。
ギャラリー
[編集 ]アクセス・利用案内
[編集 ]一般公開は、月曜日から土曜日の授業実施日(天候不順日は閉園)[1] の、9時から17時まで(10〜3月は16時30分まで)[1] 。
周辺
[編集 ]- リーガロイヤルホテル東京 - 北側に隣接
- 大隈講堂 - 南側に隣接
脚注
[編集 ][脚注の使い方]
関連文献
[編集 ]- 服部嘉香 『随筆 早稲田の半世紀』 中和出版、1957年
外部リンク
[編集 ]ウィキメディア・コモンズには、大隈庭園 に関連するカテゴリがあります。
- 早稲田ウィークリー
- 早稲田大学
- 863163760 大隈庭園 - オープンストリートマップ