大野元美
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大野 元美 おおの もとよし | |
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生年月日 | 1912年 11月17日 |
出生地 | 埼玉県 北足立郡 川口町(現・川口市) |
没年月日 | (1982年04月19日) 1982年 4月19日(69歳没) |
出身校 | 明治大学専門部商科 |
所属政党 | 自由民主党 |
親族 | 孫・大野元裕(参議院議員、埼玉県知事) |
当選回数 | 6回 |
在任期間 |
1957年2月20日 - 1972年4月25日 1976年5月28日 - 1981年4月27日 |
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大野 元美(おおの もとよし、1912年(大正元年)11月17日 [1] [2] [3] - 1982年(昭和57年)4月19日 [1] [3] )は、日本の政治家、実業家。埼玉県 川口市長(第8代 - 第11代・第13代 - 第14代)。孫は第61代埼玉県知事の大野元裕。
来歴
[編集 ]埼玉県 北足立郡 川口町 [1] (現・川口市)出身。1933年(昭和8年)3月、明治大学 専門部商科を卒業[1] [3] [2] 。大野電機鋳造所社長に就任[1] 。
埼玉県水泳連盟会長、県教育委員、川口市議会議員などの公職を経て[1] [2] 、1957年(昭和32年)2月から1972年(昭和47年)4月までの4期[3] [2] 、1976年(昭和51年)5月から1981年(昭和56年)4月までの2期[3] [4] 、通算6期22年の長きにわたり川口市長を務めた[3] 。市長(第1次)在任中は、川口自由民主党(現自民党川口支部)を組織した。
4期目途中の1972年、川口市長を辞任[3] 。栗原浩 埼玉県知事の後継として埼玉県知事選挙に自民党から立候補し、日本社会党出身で衆議院議員を辞任して立候補した畑和に敗れた[1] 。その後の1976年(昭和51年)川口市長選挙に再度立候補し、復帰当選を果たした[3] [4] 。1981年4月、病のため市長を退任した[3] 。
1982年4月に69歳で没。市民葬が執り行われた[4] 。
2012年(平成24年)11月16日に、生誕100周年を記念してその功績をたたえるイベントが行われた。
受章歴など
[編集 ]脚注
[編集 ][脚注の使い方]
参考文献
[編集 ]- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長 第2巻』歴代知事編纂会、1984年。
- 埼玉県教育委員会編『埼玉人物事典』埼玉県、1998年。
- 『現代政治家人名事典』日外アソシエーツ、1999年。
- 川口市名誉市民条例を考えよう!〜市による名誉市民の公的葬儀から〜
- 「大野元美生誕100周年記念」感謝の集い - 川口市 栄町2丁目町会
- 大野もとひろニュース5【祖父への想い in楽屋編】