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大野元美

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大野 元美
おおの もとよし
生年月日 1912年 11月17日
出生地 埼玉県 北足立郡 川口町(現・川口市)
没年月日 (1982年04月19日) 1982年 4月19日(69歳没)
出身校 明治大学専門部商科
所属政党 自由民主党
親族 孫・大野元裕(参議院議員、埼玉県知事)

川口市長
当選回数 6回
在任期間 1957年2月20日 - 1972年4月25日
1976年5月28日 - 1981年4月27日
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大野 元美(おおの もとよし、1912年(大正元年)11月17日 [1] [2] [3] - 1982年(昭和57年)4月19日 [1] [3] )は、日本の政治家実業家埼玉県 川口市長(第8代 - 第11代・第13代 - 第14代)。孫は第61代埼玉県知事の大野元裕

来歴

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埼玉県 北足立郡 川口町 [1] (現・川口市)出身。1933年(昭和8年)3月、明治大学 専門部商科を卒業[1] [3] [2] 。大野電機鋳造所社長に就任[1]

埼玉県水泳連盟会長、県教育委員川口市議会議員などの公職を経て[1] [2] 、1957年(昭和32年)2月から1972年(昭和47年)4月までの4期[3] [2] 、1976年(昭和51年)5月から1981年(昭和56年)4月までの2期[3] [4] 、通算6期22年の長きにわたり川口市長を務めた[3] 。市長(第1次)在任中は、川口自由民主党(現自民党川口支部)を組織した。

4期目途中の1972年、川口市長を辞任[3] 栗原浩 埼玉県知事の後継として埼玉県知事選挙に自民党から立候補し、日本社会党出身で衆議院議員を辞任して立候補した畑和に敗れた[1] 。その後の1976年(昭和51年)川口市長選挙に再度立候補し、復帰当選を果たした[3] [4] 。1981年4月、病のため市長を退任した[3]

1982年4月に69歳で没。市民葬が執り行われた[4]

2012年(平成24年)11月16日に、生誕100周年を記念してその功績をたたえるイベントが行われた。

受章歴など

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『埼玉人物事典』188頁。
  2. ^ a b c d 『日本の歴代市長 第2巻』703頁。
  3. ^ a b c d e f g h i 『現代政治家人名事典』92頁。
  4. ^ a b c d 『日本の歴代市長 第2巻』704頁。

参考文献

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2011年10月11日編入
鳩ヶ谷市長
官選
公選
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