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大津守

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大津 守
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県 久留米市 京町
生年月日 1931年3月5日
没年月日 (2007年10月02日) 2007年 10月2日(76歳没)
身長
体重
173 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1950年
初出場 1951年
最終出場 1963年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 西鉄ライオンズ (1965 - 1967)
この表について
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しかくプロジェクト:野球選手  しかくテンプレート

大津 守(おおつ まもる、1931年 3月5日 - 2007年 10月2日)は、福岡県 嘉穂郡 桂川町出身のプロ野球選手(投手)・コーチ解説者

経歴

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明善高校からノンプロ時代の西日本鉄道を経て、1950年両リーグ分立に際して球団結成したばかりの西鉄クリッパースへ入団。

3年目の1952年にリーグ最多となる46試合に登板して、チームでは野口正明の23勝に次ぐ18勝、リーグ3位の防御率2.73を挙げて主戦投手となる。1954年9月22日の南海戦では、大津は完投勝ちして南海の連勝記録を18で止める[1] 。同年のシーズンでは18勝、リーグ3位の防御率1.78を記録して、河村久文(25勝)、西村貞朗(22勝)と共に初優勝に貢献。中日との日本シリーズでも第6戦で勝利投手となる。1955年には6月4日の近鉄戦(平和台)でノーヒットノーランを記録するなど、河村と共にチーム最多の21勝を記録したが、1956年から2年連続して0勝に終わるなど大不振に陥る。1957年オフに自由契約となり、1958年に近鉄パールスへ移籍。

近鉄では主戦投手に復活し、チームトップの10勝(22敗)を挙げる。1958年もミケンズと並んで11勝(20敗)とチームの勝ち頭となったが、近鉄では打線の援護がなく、2年連続防御率ベスト10に入ったにもかかわらず両年とも20敗を記録している。1960年は開幕試合に先発して敗れると、11試合に先発するが1勝もできず、11連敗のままシーズンを終え、3シーズンを跨いで15連敗を記録したが、1963年限りで現役を引退。

引退後はRKB毎日放送エキサイトナイター」解説者(1964年)を経て、1965年には古巣・西鉄の一軍投手コーチに就任。1967年に近鉄戦で主力投手陣の八百長を疑い、独自に内偵を行ったことが問題となり、二軍コーチへ降格される。黒い霧事件で球団が壊滅的ダメージを受けた1969年に球界から離れ、その後は解説者に戻り、少年野球やソフトボールの指導者として「千早地区少年ソフトボール親善リーグ」の名誉会長などを務めていた。

2007年10月2日、心不全のため福岡市内の病院で死去。享年77(76歳没)[2] 。死後、福岡市では「大津守杯小学生ソフトボール大会」が行われている[3]

プレースタイル

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上手投げから繰り出すスライダーカーブシュートを武器とした。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1951 西鉄 7 3 1 0 0 1 0 -- -- 1.000 101 25.0 18 1 10 -- 0 10 0 1 8 5 1.80 1.12
1952 46 22 12 0 0 18 8 -- -- .692 931 230.1 209 4 57 -- 3 70 2 0 86 70 2.73 1.15
1953 34 15 4 1 0 6 11 -- -- .353 626 147.0 150 9 46 -- 1 56 1 0 75 60 3.67 1.33
1954 49 29 9 2 0 18 11 -- -- .621 1018 257.1 197 7 69 -- 6 123 2 0 62 51 1.78 1.03
1955 55 27 11 6 1 21 10 -- -- .677 1034 255.2 213 11 91 2 3 116 3 0 83 71 2.50 1.19
1956 5 2 0 0 0 0 2 -- -- .000 63 14.0 18 1 4 0 0 6 1 0 13 11 7.07 1.57
1957 2 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 11 1.0 7 0 1 0 0 0 0 0 6 5 45.00 8.00
1958 近鉄 46 24 15 3 0 10 22 -- -- .313 920 223.0 214 14 70 3 0 63 2 0 91 74 2.99 1.27
1959 45 32 7 0 0 11 20 -- -- .355 965 227.0 240 14 68 6 4 79 4 0 106 80 3.17 1.36
1960 19 11 0 0 0 0 11 -- -- .000 265 55.1 83 5 22 1 0 32 3 0 54 41 6.59 1.90
1961 46 19 2 1 1 4 13 -- -- .235 581 135.2 148 11 44 3 0 55 2 0 78 61 4.04 1.42
1962 46 4 0 0 0 6 4 -- -- .600 376 91.2 97 9 20 1 1 58 0 0 39 30 2.93 1.28
1963 9 0 0 0 0 1 0 -- -- 1.000 62 12.1 22 3 6 0 0 5 0 0 17 15 10.38 2.27
通算:13年 409 188 61 13 2 96 112 -- -- .462 6953 1675.1 1616 89 508 16 18 673 20 1 718 574 3.08 1.27
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

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背番号

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  • 20(1950年)
  • 16(1951年 - 1957年)
  • 15(1958年 - 1963年)
  • 65(1965年 - 1967年)

脚注

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  1. ^ 『プロ野球記録大鑑』158頁
  2. ^ 大津守氏死去 元近鉄投手」『共同通信』2007年10月2日。2013年5月26日閲覧
  3. ^ ご挨拶 - 大津守杯小学生ソフトボール大会HP」『sites.google.com』。2020年9月18日閲覧

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代

2004年12月1日にオリックス・バファローズに吸収合併され球団消滅。
合併先の開幕投手についてはTemplate:オリックス・バファローズ開幕投手を参照。

1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
脚注

ノーヒットノーラン達成投手のみ記載。
完全試合達成投手についてはTemplate:日本プロ野球完全試合達成者を参照。

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