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大森健二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避 大森健司」あるいは「大森賢治」とは別人です。
大森健二
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 岡山県
生年月日 (1947年09月15日) 1947年 9月15日(77歳)
身長 166cm
体重 54kg(現役時)
血液型 O型
選手情報
所属 岡山支部
登録番号 1910
登録期 17期
特徴 自在
選手実績
デビュー日 1964年
選手引退日 2007年
記念優勝 6 回
SG優勝 1 回
GI/PGI優勝 5 回
通算優勝 97 回
通算勝率 6.66
通算勝利 出走9066回 2729勝
主要獲得タイトル
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大森 健二(おおもり けんじ、1947年 9月15日 - )は、岡山県出身の元競艇選手

来歴

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1964年にデビューし、重量級ながら果敢なイン戦と豪快なツケマイでファンを驚嘆、魅了してきた[1]

1993年は、物凄く調子の良い年で、年間の優出回数が26回を数え、年間の最高優出記録を打ち立てた[2] 。重量級のためランナ-戦を走ることが多かったが、大森曰く「実を言うとランナは好きではなかった。ランナよりもハイドロで活躍したい」と思っていた[2] 。ランナ戦の頃に流行っていた全速ターンをハイドロに取り入れていたので、スピードで勝っていた[2] 。ランナよりもハイドロで活躍したいという気持ちは、岡山の同僚の影響が大きく、若手の頃には村上一行黒明良光林通と一緒に「岡山ヤング会」を作って、櫃石島で泊まり込みのキャンプなどをやっていた[2] 。若い頃からの友達がSGで優勝するのを見て「俺も負けられない」という気持ちがずっとあり、1994年下関中国地区選で優勝し、このレースで良いプロペラが完成したため、自信を持って第29回総理大臣杯競走(平和島)に参戦[2] 。優勝戦は中道善博がインからコンマ08のスタートで先手を取ったが、大森が2コースから得意の全速を決めて勝った。大森は全速とは思わなかったが、松田雅文の差しも寄せ付けず、自身唯一で悲願のSG制覇を決めた[2] 。勝った時は「やっと友達と同じ立場に立てた」と思い、選手生活で一番充実していた時期となった[2]

2004年には第5回競艇名人戦競走(住之江)で3号艇2コース進入からまくりを決め、原田順一林貢桑原淳一を抑えて最後のGIタイトルを獲得[3] 。これが結果的に最後の優勝ともなり、2006年 4月6日丸亀一般戦「日本モーターボート選手会会長杯」で長岡茂一西島義則と共に優出したのが最後の優出(5号艇3コース進入から4着)となった[4] 同29日浜名湖一般戦「みどりの日スペシャル ネイチャーアタック」3日目6Rで5号艇ながらインから逃げ切って通算2729勝目を挙げ、これが最後の勝利[5] となった。5月6日の丸亀一般戦「蓬莱杯争奪GW大賞」4日目11Rスマイル選抜が最後の出走[6] となり、2007年引退。

獲得タイトル

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(注記)太字はSGレース

  • 1973年 - 桐生開設17周年記念競走
  • 1976年 - 浜名湖開設23周年記念競走
  • 1994年 - 第29回総理大臣杯競走(平和島)、中国地区選手権競走(下関)
  • 2004年 - 第5回競艇名人戦競走(住之江)

脚注

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関連項目

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外部リンク

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1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代

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