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多田光雄

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多田 光雄(ただ みつお、1918年 11月19日 - 1987年 3月26日)は日本政治家

衆議院議員(日本共産党公認、通算2期)。日本共産党北海道副委員長、道平和委員会副会長、道原水協副委員長、日朝協会道副会長などを歴任した。

来歴

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北海道 空知郡 上砂川町出身。東京帝国大学 文学部 英文科を卒業後、1942年に徴兵されるが、戦後はシベリアに抑留される。ソ連から帰国後の1948年、日本共産党へ入党。党美唄地区委員長や北海道委員会統一戦線部長などを経て、1972年の衆院選北海道1区から出馬し初当選するが、1976年の衆院選で次点に終わる。1979年の衆院選で返り咲きを果たす。1980年の衆院選に落選して以後は、地盤を児玉健次に譲り政界から引退する。

1987年3月26日、胆嚢がんのため北海道札幌市の勤医協中央病院で死去。68歳。

関連項目

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参考文献

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定数5
第23回
第24回
第25回
第26回
第27回
第28回
第29回
第30回
第31回
第32回
第33回
第34回
第35回
第36回
第37回
定数6
第38回
第39回
第40回
↓:途中辞職、失職など、↑:補欠選挙で当選。

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