増田冨寿
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人物情報 | |
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生誕 |
(1915年03月01日) 1915年 3月1日 東京 |
死没 | (1989年08月05日) 1989年 8月5日(74歳没) |
出身校 | 早稲田大学 |
学問 | |
研究分野 | 近世ロシア経済史 |
学位 | 経済学博士 |
影響を受けた人物 | 煙山専太郎 |
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増田 冨寿(ますだ とみじゅ、1915年 3月1日 - 1989年 8月5日)は、近代ロシア経済史の研究者。早稲田大学名誉教授。
生涯
[編集 ]増田冨寿は、1915年(大正4年)に東京府 東京市 下谷区(現東京都 台東区)に生まれ、早稲田大学文学部史学科に入学した。一年生の時に煙山専太郎の講義、二年生の時には浮田和民の「フランス革命史」の講義を聴き、両者から影響を受けた[1] 。「フランス大革命」のロシアへの影響を扱った卒業論文を提出し、主査を煙山、副査を浮田が務めた[2] 。さらに研究を進めたいと考えた増田は、政治経済学部に学士入学した。学士入学した増田は、講義よりも図書館で時間を過ごすことが多かったという。この頃に増田は、煙山専太郎の研究室において個人的に指導を受けたと記している[3] 。この間にまとめた論文「ロシア農奴解放の一考察」を久保田明光に提出している。この論文がのちに『ロシア農村社会の近代化過程』につながっていくのである[4] 。
略歴
[編集 ]- 1938年(昭和13年)、早稲田大学文学部史学科西洋史専修卒業。政治経済学部経済学科に学士入学。
- 1941年(昭和16年)、早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。
- 1942年(昭和17年)、応召。
- 1947年(昭和22年)4月、早稲田大学政治経済学部専任講師。
- 1949年(昭和24年)4月、早稲田大学政治経済学部助教授。
- 1953年(昭和28年)4月、早稲田大学第一・第二政治経済学部教授。
- 1960年(昭和35年)、京都大学により経済学博士の学位を取得。
- 1970年(昭和45年)10月から1976年(昭和51年)4月まで、教務担当常任理事。
- 1985年(昭和60年)3月、早稲田大学を定年退職。
著作
[編集 ]- 『日本における経済史学の発達』要書房、1949年。
- 『ロシア農村社会の近代化過程』御茶の水書房、1958年。
- 『歴史学講義(上)』御茶の水書房、1963年。
- 『誤訳と誤解』早稲田大学出版部、1985年。
翻訳書
[編集 ]- ザイオンチコーフスキー『ロシアにおける農奴制の廃止』早稲田大学出版部、1983年。(鈴木健夫との共訳)
参考文献
[編集 ]- 増田冨寿『ロシア史研究五十年』早稲田大学出版部、1991年。