堺市立榎小学校
表示
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
堺市立榎小学校 | |
---|---|
地図 北緯34度34分12秒 東経135度29分08秒 / 北緯34.570111度 東経135.485556度 / 34.570111; 135.485556 座標: 北緯34度34分12秒 東経135度29分08秒 / 北緯34.570111度 東経135.485556度 / 34.570111; 135.485556 | |
過去の名称 |
堺市榎尋常小学校 堺市榎国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 堺市の旗 堺市 |
設立年月日 | 1941年 2月19日 |
創立記念日 | 2月19日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B127210003006 ウィキデータを編集 |
所在地 | 〒590-0027 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 | |
テンプレートを表示 |
堺市立榎小学校の位置(大阪府内)
堺市立榎小学校
堺市立榎小学校(さかいしりつ えのき しょうがっこう)は、大阪府 堺市 堺区にある公立 小学校。
沿革
[編集 ]従来の堺市向陽尋常小学校(1912年開校・1946年廃校)および堺市安井尋常小学校(現在の堺市立安井小学校)の校区を再編し、1941年に開校した。
1941年 2月19日付で堺市榎尋常小学校として設置され、同年4月1日より向陽・安井の両校から校区内の5年生以下の児童を受け入れて開校した。なお国民学校令の施行により、開校と同時に堺市榎国民学校に改称した。
1944年には周辺校の校区を再編する形で堺市三国丘国民学校(現在の堺市立三国丘小学校)が開校した。これに伴い、従来の校区の一部を三国丘国民学校校区へ変更している。
太平洋戦争の戦局悪化により、1945年には堺市中心部の国民学校児童も学童疎開の対象となった。そのため榎国民学校の児童は1945年6月1日以降、泉北郡 東陶器村(現在の堺市中区)に集団疎開を実施した。
終戦後の学制改革により、1947年に堺市立榎小学校に改称した。1950年に堺市立大仙小学校が開校したことに伴い、従来の校区の一部を大仙小学校校区へ変更した。
また1957年には校区変更を実施した。従来の校区の一部を三国丘小学校校区へ分離するとともに、従来の堺市立熊野小学校校区の一部を編入した。
年表
[編集 ]- 1941年 2月19日 - 堺市榎尋常小学校として設置。
- 1941年4月1日 - 開校。また開校と同時に堺市榎国民学校に改称。
- 1944年4月1日 - 堺市三国丘国民学校(現在の堺市立三国丘小学校)開校に伴い校区縮小。
- 1947年4月1日 - 学制改革により、堺市立榎小学校に改称。
- 1950年 11月23日 - 従来の校区の一部を、新設の堺市立大仙小学校の校区へ分離。
- 1957年 3月3日 - 校歌を制定。
- 1957年4月1日 - 校区変更。
- 1969年 - 大阪府教育委員会から、算数教育の研究校に指定される(1970年度まで)。
- 1984年 11月5日 - 全国保健体育優良校の表彰を受ける。
通学区域
[編集 ]- 堺市堺区 一条通(一部)、榎元町、北丸保園、向陵中町、向陵西町1丁・3丁・4丁の全域および2丁の一部、向陵東町、五条通(一部)五月町、三条通(一部)、四条通(一部)、七条通(一部)、中永山園、西永山園、二条通(一部)、東永山園、三国ヶ丘御幸通(一部)、南丸保園、南三国ヶ丘町1丁・2丁、陵西通(一部)、六条通(一部)。
- 卒業生は堺市立三国丘中学校に進学する。
交通
[編集 ]参考文献
[編集 ]- 堺市立榎小学校『堺市立榎小学校創立50周年記念号 伸びる榎』1990年。