堀川美哉
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堀川 美哉 ほりかわ よしや | |
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生年月日 | (1883年05月17日) 1883年 5月17日 |
出生地 | 日本の旗 日本 三重県名賀郡比奈知村 [1] |
没年月日 | 1963年 6月22日 (1963年06月22日)(80歳没) |
出身校 | 早稲田大学大学部政治経済科[1] |
前職 | ジャーナリスト |
所属政党 | 立憲国民党→立憲政友会 |
日本における郵船商船規則の旗 衆議院議員 | |
選挙区 | 三重県郡部 |
在任期間 | 1917年 - 1920年 |
日本における郵船商船規則の旗 衆議院議員 | |
選挙区 | 三重県第1区 |
在任期間 | 1932年 - 1936年 |
津市長 | |
在任期間 |
1930年1月 - 1945年8月 1946年7月 - 1946年11月 1953年5月 - 1957年5月 |
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堀川 美哉(ほりかわ よしや、1883年(明治16年)5月17日 [1] - 1963年(昭和38年)6月22日 [2] )は、衆議院議員(立憲国民党→立憲民政党)。津 市長。
経歴
[編集 ]三重県 名賀郡 比奈知村(現在の名張市)出身[1] 。旧制三重県立津中学(現・三重県立津高等学校)を経て、1908年(明治41年)、早稲田大学大学部政治経済科を卒業[1] 。『東京日日新聞』記者となり、また一年志願兵として陸軍三等主計に任じられ、さらにアメリカ合衆国のコロンビア大学、イギリスのロンドン大学に留学した[3] 。
1917年(大正6年)、第13回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
1922年(大正11年)から1927年(昭和2年)まで『中外商業新報』記者を務めた。
1930年(昭和5年)に津市長に選出され、1945年(昭和20年)まで在任した。その間、第18回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
その後、1946年(昭和21年)7月に津市長石原雅二郎の辞任に伴い再任されたが、戦時中は翼賛体制協議会構成員だったため、公職追放となるおそれがあり、11月に市長を辞任する。その後公職追放となり[4] 、追放解除後の1953年(昭和28年)にも津市長に選ばれた。
人物
[編集 ]住所は津市乙部[1] 。
著書
[編集 ]- 『英国の経済的勢力』(越山堂書店、1916年)
- 『通俗経済十二講』(越山堂、1925年)
脚注
[編集 ]参考文献
[編集 ]- 『自治制実施五十周年記念 全国市長銘鑑』帝国自治協会、1938年。
- 早稲田大学紳士録刊行会編『昭和十五年版 早稲田大学紳士録』早稲田大学紳士録刊行会、1939年。