土屋寛直
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 寛政7年9月9日(1795年 10月21日) |
死没 | 文化7年10月15日(1810年 11月11日) |
改名 | 保三郎(幼名)、寛直 |
別名 | 左門(通称) |
戒名 | 徳倫元良祥善院 |
墓所 | 茨城県 土浦市大岩田の法泉寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 常陸国 土浦藩主 |
氏族 | 土屋氏 |
父母 | 父:土屋英直、母:伊達重村の娘 |
兄弟 |
直子、寛直、雄之助、充子(土屋彦直正室)、 妹(堀直央継室) |
妻 | 松平信明の娘 |
子 | 養子:彦直 、養女:充子(土屋彦直正室) |
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土屋 寛直(つちや ひろなお)は、常陸 土浦藩の第8代藩主。
寛政7年(1795年)9月9日、第7代藩主土屋英直の長男として生まれる。享和3年(1803年)に父が死去したため、家督を継いだ。しかし病弱で、文化7年(1810年)10月15日に死去した。享年16。
継嗣が無いため、寛直はなおも病床で生きているということにして、幕府に進退伺を提出、「病弱で、嗣子もなく領地奉還をしたい」と願い、さらに「養子を認められるなら」という文章を提出したところ、祖先の勲功があったので養子を認められ、水戸藩主徳川治保の三男・拾三郎(土屋彦直)に寛直の養女(実妹、英直の娘)充子を娶わせ、婿養子として迎えた。そして、養子縁組が成立した後の文化8年(1811年)10月2日に死去したと発表している。
系譜
[編集 ]父母
正室
- 松平信明の娘
養子、養女
土屋家土浦藩8代藩主 (1803年 - 1810(1811)年) | |
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