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和泉宗章

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和泉 宗章(いずみ そうしょう、本名:和泉 國康1936年 4月25日 - 2001年 5月3日)は、日本の占い師。「天中殺」で知られる。

来歴・人物

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神奈川県生まれ。1958年 早稲田大学教育学部中退。作曲家として活動するかたわら、競馬の予想のために易学の研究を始め、算命占星学の高尾義政に師事。1978年4月、青春出版社より『算命占星学入門』を発売し、9月に日本テレビ深夜番組11PM』で紹介される。翌1979年 1月1日に再び『11PM』に出演し、当時のプロ野球 読売ジャイアンツ長嶋茂雄監督が日本一になれないと発言し、天中殺占いのブームを起こす。著書『算命占星学入門』は、1979年6月に出した第2弾の『天中殺入門』と合わせて300万部以上を売り上げて[1] 、1979年のベストセラーの1位と2位になった[2] 週刊誌女性週刊誌にも取り上げられ、天中殺は流行語となった。

しかしその後の「長嶋監督が1980年2月までに辞任する」とした占いが外れたことから、1980年4月4日に占星術師の廃業を宣言[3] 。自著の絶版も希望したが、出版社に受け入れられず、印税の受け取りを辞退するに至った。その後、改めて易学研究を行った末、占い否定論者に転向。同じく否定論者である上岡龍太郎の番組などに出演し、元易学者としての立場から開運・霊感商法などの告発活動を展開した。「天中殺はない。だまして申し訳ない」と謝罪も行っている。2001年 5月3日膵臓癌で死去。

現在では二代目和泉宗章を名乗る人物が「占術家」として活動している。

著書

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  • 算命占星学入門 - 自分を知りつくす中国最高の占法(青春出版社、1978年4月)
  • 天中殺入門 - 算命占星学2(青春出版社、1979年6月)
  • 和泉宗章の占い告発(読売新聞社、1982年4月)
  • プラス思考のすすめ(海竜社、1984年10月)
  • 和泉宗章が明かす占いの謎(集英社、1993年4月)

脚注・出典

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  1. ^ 小林信彦『現代死語ノートII』岩波新書、2000年、p17
  2. ^ 出版ニュース社編『出版データブック 1945-1996』出版ニュース社、1997年、p73
  3. ^ 松浦総三『スキャンダラスな時代』幸洋出版、1982年、p22

参考文献

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外部リンク

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