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吸江英心

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吸江 英心
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 天文24年1月5日(1555年 1月27日)
改名 吸江英心
幕府 室町幕府
主君 武田信虎晴信
氏族 武田氏
父母 父:武田信縄、母:不詳
兄弟 武田信虎勝沼信友桜井信貞 [1] 吸江英心、女子(小山田信有室)など
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吸江 英心(きゅうこう えいしん)は、戦国時代の日本の曹洞宗僧侶で、甲斐 武田家出身。

生涯

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武田信縄の「次子」とされており、信虎のすぐ下の弟で、勝沼信友より年長者だった可能性がある[2] 。信縄の命令で僧侶となり、天桂禅長弟子となっているため、かなり早くに僧侶にされたと推定されている[2] (信縄死去の永正4年(1507年)以前)。

永正16年(1519年)に信虎が甲府に移ると、天桂を開山として、菩提寺として甲府大泉寺 (甲府市)を建立し、自らは大泉寺2世となった[2] 。英心は甥の武田晴信の時代である天文24年(1555年)1月5日に死去した[2]

脚注

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  1. ^ 甲斐国志
  2. ^ a b c d 柴辻俊六 編『武田信虎のすべて』新人物往来社、2007年、34頁。ISBN 978-4-404-03423-6 

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