吉田武 (歌人)
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吉田 武 よしだ たけし | |
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誕生 |
(1911年06月27日) 1911年 6月27日 日本の旗 日本 福島県 田村郡 小野新町(現:小野町) |
死没 | (1990年04月13日) 1990年 4月13日(78歳没) |
職業 | 歌人 |
言語 | 日本語 |
最終学歴 | 福島県郡山商工学校(現:福島県立郡山商業高等学校)卒業 |
代表作 |
「福島県県民の歌」(作詞) 選集『しゃくなげ匂う山なみに』 |
主な受賞歴 |
「県民の歌」作詞部門 入選 雑誌『短歌』特選 福島県芸術短歌大会 特選 小野町功労賞 |
デビュー作 | 合同歌集『朴の花』(国分津宜子と共著) |
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吉田 武(よしだ たけし、1911年 6月27日 - 1990年 4月13日)は、昭和時代後期日本の歌人。福島県出身。
生涯
[編集 ]1911年(明治44年)、福島県田村郡 小野新町(現在の小野町)に生まれる。福島県郡山商工学校(現在の福島県立郡山商業高等学校)を卒業し、日立製作所に入社。同社を退職して帰郷した後、町立小野中学校教員となる[1] 。
1954年(昭和29年)、朴の花短歌会を結成し会長に就任[2] 。1966年(昭和41年)に県が募集していた「福島県県民の歌」の作詞部門で応募作が入選し[3] 、翌1967年(昭和42年)2月11日に制定される。1972年(昭和47年)、角川書店『短歌』特選[2] 。1975年(昭和50年)、東北アララギ郡山に入会。県芸術短歌大会で特選。
教員を退職した後、小野サントップに入社[1] 。1990年(平成2年)4月13日死去。享年80(満78歳没)[4] 。翌1991年(平成3年)に朴の花短歌会から追悼歌集『この空いつまでも』が刊行された。
著作
[編集 ]- 朴の花(白玉書房、1955年) - 国分津宜子との合同歌集 NCID BA32726939
- 選集『しゃくなげ匂う山なみに』(私家版、1981年)