吉村廉
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よしむら れん 吉村 廉 | |
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生年月日 | (1903年01月28日) 1903年 1月28日 |
没年月日 | (1988年01月21日) 1988年 1月21日(84歳没) |
出身地 | 日本の旗 日本・佐賀県 東松浦郡 浜玉町 [1] |
職業 | 映画監督 |
主な作品 | |
『白雪先生と子供たち』 『アカシアの雨がやむとき』 『美しい十代』 | |
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吉村 廉(よしむら れん、1903年 1月28日 - 1988年 1月21日 [1] )は、佐賀県 東松浦郡 浜玉町出身の日本の映画監督 [2] [1] 。
略歴
[編集 ]佐賀県立唐津中学校(旧制)、東京写真専門学校卒業[1] 。1925年、助監督として日活京都大将軍撮影所へ入所[3] 。その後、太秦撮影所では内田吐夢監督の助監督を務め、1931年に『作業服』で監督デビューを果たした[3] [1] 。
歌謡曲を題材とした、歌謡映画を多く監督したが、1965年(『 大日本チャンバラ伝 』を監督した後)監督業から引退した[1] 。
主な作品
[編集 ]- 十二番の聖歌 (1935年、日活多摩川)
- 令嬢殺し犯人 (1938年、日活多摩川)
- 我が家の大将(1939年、日活多摩川)
- 最後の帰郷(1945年、大映)※(注記)田中重雄と共同担当。
- 絢爛たる復讐 (1946年、大映)
- 美貌の顔役 (1949年、大映東京)
- 検事と女看守(1949年、大映東京)
- 白雪先生と子供たち (1950年、大映東京)
- 女医の診察室(1950年、新東宝=滝村プロ)
- 街の小天狗 (1952年)
- 呼子星
- 紅椿 (1953年)
- 虹の谷 (1955年)
- 少年死刑囚
- 初恋カナリヤ娘
- ドラムと恋と夢 (1956年)
- デンスケの宣伝狂
- ただひとりの人
- 青春の冒険 (1957年)
- 哀愁の園
- 忘れ得ぬ人 (1958年)
- 東京野郎と女ども
- 星は何でも知っている
- 少女と風船
- お笑い三人組
- お月さん今晩わ
- 東京ロマンス・ウェイ (1959年)
- 泣かないで
- 小雨の夜に散った恋 (1960年)
- 香港秘令0号
- よせよ恋なんて
- 東京のお転婆娘 (1961年)
- 天に代わりて不義を討つ
- 一本杉はなにを見た
- お父ちゃんは大学生
- サラリーマン物語 敵は幾万ありとても (1962年)
- 霧に消えた人 (1963年)
- 結婚作戦要務命令
- サラリーマン物語 勝って来るぞと勇ましく
- アカシアの雨がやむとき
- 美しい十代 (1964年)
- 大日本ハッタリ伝 (1965年)
- 大日本チャンバラ伝
脚註
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