医得業生
表示
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
医得業生(いとくごうしょう)とは、古代日本の律令制において、宮内省の典薬寮に所属し、国家の援助を受けて医学を研修した者を指す。
概要
[編集 ]天平2年(730年)3月の太政官の奏上により、吉田宜らに弟子を取らせて業を習わしめ、時服・食料を支給し、医得業生3人を設置したとあるのが、史料における初出である。その目的は、諸博士が高齢で老衰したため、後継者を育てることであった[1] 。『令集解』には加えて、大学寮の学生に準じよ、とも記されている。
上述のように、定員は3名であったが、弘仁5年(814年)、内薬司に医得業生4人をおいて医業を教伝せしめ、とあり[2] 、4名に増員されている。内薬司は、寛平8年(896年)に典薬寮に併合されている。
脚注
[編集 ][脚注の使い方]
参考文献
[編集 ]- 『国史大辞典』第一巻p695- p696「医道」、文:桃裕行、吉川弘文館、1979年
- 和田英松 『新訂 官職要解』 所功校訂p120、講談社学術文庫、1983年
- 『続日本紀』3 新日本古典文学大系14 岩波書店、1990年
- 『続日本紀』全現代語訳(上)、講談社学術文庫、宇治谷孟:訳、1992年
関連項目
[編集 ] スタブアイコン
この項目は、医学に関連した書きかけの項目 です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:医学/Portal:医学と医療)。