北沢清功
表示
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
北沢 清功(きたざわ せいこう、1927年 2月20日 - 2001年 11月15日)は、日本の政治家。元衆議院議員。
北沢 清功 きたざわ せいこう | |
---|---|
生年月日 | 1927年 2月20日 |
出生地 | 日本の旗 長野県 南安曇郡 穂高町 |
没年月日 | (2001年11月15日) 2001年 11月15日(74歳没) |
出身校 | 旧制松本工業学校卒業 |
所属政党 |
(日本社会党→) 社会民主党 |
選挙区 |
(旧長野4区→) 比例北陸信越ブロック(長野2区) |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1990年 2月18日 - 2000年 6月2日 |
テンプレートを表示 |
来歴
[編集 ]伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません 。 人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。(2016年6月)
長野県 南安曇郡 穂高町(現安曇野市)出身。旧制松本工業学校卒業。1994年、細川内閣が成立をめざした政治改革四法案にも党議拘束に反して反対票を投じ、党規違反で3ヶ月間の党活動禁止処分を受ける。
- 1962年 - 穂高町会議員当選。
- 1967年 - 長野県議会議員当選。
- 1990年 - 第39回衆議院議員総選挙で日本社会党から長野4区で出馬、初当選。
- 1993年 - 第40回衆議院議員総選挙で日本社会党から長野4区で出馬、当選(2期目)。
- 1996年 - 第1次橋本龍太郎内閣で運輸政務次官。第40回衆議院議員総選挙で社民党から出馬。長野2区落選・比例北陸信越ブロックで復活当選。
- 2000年 - 政界引退。同年勲二等瑞宝章受章[1] 。
役職
[編集 ]脚注
[編集 ][脚注の使い方]
- ^ 「2000年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人、在日外国人の受章者一覧」『読売新聞』2000年11月3日朝刊
参考
[編集 ]- 『長野県人名鑑』信濃毎日新聞社、1974年
定数3 |
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
↓:途中辞職、失職など、↑:繰り上げ当選。 |
第41回 (定数13) |
| ||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
第42回 (定数11) |
| ||||||||||||
第43回 (定数11) |
| ||||||||||||
第44回 (定数11) |
| ||||||||||||
第45回 (定数11) |
| ||||||||||||
第46回 (定数11) |
| ||||||||||||
第47回 (定数11) |
| ||||||||||||
第48回 (定数11) |
| ||||||||||||
第49回 (定数11) |
| ||||||||||||
↓:途中辞職、失職など、↑:繰り上げ当選。 |