北方町 (佐賀県)
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きたがたまち 北方町 | |
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大聖寺 大聖寺 | |
廃止日 | 2006年3月1日 |
廃止理由 |
新設合併 武雄市・山内町・北方町→武雄市 |
現在の自治体 | 武雄市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本の旗 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 佐賀県 |
郡 | 杵島郡 |
市町村コード | 41422-1 |
面積 | 27.25 km2 |
総人口 |
8,314人 (国勢調査、2005年) |
隣接自治体 | 多久市、武雄市、大町町、白石町 |
町の木 | まき |
町の花 | つつじ |
北方町役場 | |
所在地 |
〒849-2211 佐賀県杵島郡北方町大字志久1557番地 |
外部リンク | 北方町(閉鎖) |
座標 | 北緯33度13分10秒 東経130度04分07秒 / 北緯33.21958度 東経130.06853度 / 33.21958; 130.06853 (北方町) 座標: 北緯33度13分10秒 東経130度04分07秒 / 北緯33.21958度 東経130.06853度 / 33.21958; 130.06853 (北方町) |
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北方町(きたがたまち)は、佐賀県のほぼ中心に位置していた町で、2006年 3月1日に隣接する武雄市・山内町と合併し、新市制による武雄市となった。
日本国内には他に宮崎県 北方町(現・延岡市)と岐阜県 北方町があるが、読み方はすべて異なっている。
地理
[編集 ]- 山:
- 河川: 六角川
- 湖沼:
隣接していた自治体
[編集 ]歴史
[編集 ]江戸時代には長崎街道が通過しており、現在の町域内に宿駅が設けられていた。明治時代には西杵炭鉱が開発されて石炭産業で栄えた。 1949年(昭和24年)5月24日、西杵炭鉱近隣を昭和天皇の戦後巡幸の車列が通過した際には、従業員が奉迎を行い、天皇も車窓からこれに応えた[1] 。炭鉱は、他の唐津炭田とともに1960年代に閉山した。
沿革
[編集 ]ウィキソースに武雄市、山内町、北方町を廃し、武雄市を置く件 の原文があります。
- 1889年4月1日 - 町村制施行により北方村・橋下村が発足。
- 1944年4月29日 - 北方村が町制施行。北方町となる。
- 1956年4月1日 - 橋下村を分割し、北方町と白石町に編入。
- 2006年3月1日 - 武雄市、山内町と合併し、新市制による武雄市となり消滅。
行政
[編集 ]- 町長:松本和夫
地域
[編集 ]教育
[編集 ]小・中学校
[編集 ]- 町立
- 北方中学校
- 北方小学校
交通
[編集 ]鉄道路線
[編集 ]道路
[編集 ]高速道路
[編集 ]一般国道
[編集 ]主要県道
[編集 ]名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集 ]- きたがた四季の丘公園
- 大聖寺
出身著名人
[編集 ]脚注
[編集 ]- ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十』東京書籍、2017年3月30日、831頁。ISBN 978-4-487-74410-7。
関連項目
[編集 ]外部リンク
[編集 ]- 武雄市・山内町・北方町合併協議会(2006年02月08日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
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