出口栄太郎
Eitaro DEGUCHI | |
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基本情報 | |
名前 | 出口 栄太郎 |
生年月日 | (1948年05月26日) 1948年 5月26日(76歳) |
身長 | 170 cm (5 ft 7 in) |
体重 | 75 kg (165 lb) |
国籍 | 日本の旗 日本 |
出身地 | 三重県 |
経歴 | |
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出口 栄太郎(でぐち えいたろう、1948年 5月26日 - )は三重県出身のプロゴルファー。
来歴
[編集 ]鍛冶屋で鉄の棒の先を曲げてもらって作ったクラブで練習していたほか、家の近くにあったゴルフ場によく無断で入り、管理人に追い回されていた[1] 。
志摩高校卒業[2] [3] 後の1972年にプロ入りし[4] 、独特のスイングながら抜群のコントロールで、思い切りも良く、度胸もあったほか、ゲームの流れを読み取る勘の良さ[2] で活躍。
1980年の日本プロでは最終日に鈴木規夫と共に69をマークし高橋五月・安田春雄と並んで7位タイ[5] 、1981年のフジサンケイクラシックでは7位に入る[6] 。
1982年に開幕戦の静岡オープンで、当時流行の兆しのあったオレンジ色ボール[2] のダンロップ「プロマックスカラー」[7] を使用し、2日目に青木基正・謝永郁(中華民国の旗 中華民国)・十亀賢二と並んでの10位タイ[8] 、3日目には通算2アンダーで呂良煥(中華民国)・倉本と並んでの6位タイ[9] に浮上。最終日には強風と雨の中、前半リードの若い湯原信光や倉本昌弘、3日目でトップに立ったベテランの河野・村上隆らを、最終日の5バーディ、1ボギーの68という見事なゴルフで逆転[2] 。最終18番のバーディーパットは手前から約5mで、湯原が1打差で追っていたため「悪くてもプレーオフ。ショートしては・・・」と思い切って打ったパットはカップに吸いこまれた[6] 。これまでの成績は7位が3回あっただけで、「風と雨が強くなって中止になればいい。6位で十分だ」と思ったほどであり、最後の最後まで優勝は思ってもいなかった[6] 。国内男子ツアーでカラーボール使用者の初V[7] となり、33歳でツアー初優勝を飾って以来シード権を守り通す[2] 。
1983年にはダンロップ国際オープンで島田幸作と並んでの4位タイ[10] [3] に入ると、同年からJPGA公認競技となり、テレビ中継が始まったミズノオープンで中嶋常幸・内田繁・謝敏男(中華民国)・青木功・藤木三郎・秋富由利夫を抑えて優勝[11] 。ブリヂストントーナメントでは尾崎兄弟やリー・トレビノ(アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国)ら日米の強豪と互角に戦って[2] 同年2勝目を挙げ、日本シリーズでは最終日に倉本と共に69をマークして中嶋・中村通と並んでの3位タイに入り[12] 、同年の日本プロスポーツ大賞新人賞を受賞[4] 。
1984年には鷹巣南雄と共にワールドカップ日本代表に選出され、団体でホセ・マリア・カニサレス&ホセ・リベロ(スペインの旗 スペイン)、ゴードン・ブランド・ジュニア&サム・トーランス(スコットランドの旗 スコットランド)、陳志忠&謝敏(中華民国)、ハワード・クラーク&マーク・ジェームス(イングランドの旗 イングランド)、フィリップ・パーキン&イアン・ウーズナム(ウェールズの旗 ウェールズ)、李明夏&崔上鎬(大韓民国の旗 韓国)、デリオ・ロヴァート&シルヴァーノ・ロカテッリ(イタリアの旗 イタリア)、イーモン・ダーシー&ローナン・ラファティ(アイルランドの旗 アイルランド)に次ぐ9位に入った。ハワイで行われたカパルア国際トーナメントにも出場し、初日を2アンダー69でゲーリー・ホルバーグ(アメリカ)と並んでの4位タイ[13] とした。
競り合った時の強さは杉原輝雄・青木以上といわれ[2] 、1985年の日本プロでは3日目に69をマークして倉本・岩下吉久・山本善隆と共に首位の尾崎健夫と3打差に着け、最終的には尾崎健・金井清一に次ぐと同時に倉本・宮本康弘・青木を抑え、山本・尾崎将司と並んでの3位タイに入った[14] 。
同年は三菱ギャランでデビッド・イシイ(アメリカ)と並んでの6位タイ[15] 、東北クラシックで安田・村上・牧野裕・新関善美・入野太、ブライアン・ジョーンズ(オーストラリア)と並んでの7位タイ[16] 、ゴルフダイジェストで中嶋・山本・上原宏一と並んでの5位タイ[17] に入る。
KBCオーガスタでは3日目が台風13号の直撃で中止して迎えた最終日[18] 、飯合肇、ファジー・ゼラー(アメリカ)、青木・尾崎・高橋と共に9アンダーで並ぶ激戦を繰り広げ、飯合の2位タイであった[19] 。
地元の三重県オープンは第1回から連続出場して5勝(1979年, 1981年, 1984年, 1986年, 1995年)[20] したほか、1986年・1987年と中部オープンを2連覇し、特に1987年は良い出足を見せた石井裕士からタイトルを奪って[21] の連覇であった。
1986年には静岡オープンで宮本康・長谷川勝治・高橋勝成と並んでの9位タイ[22] 、ダンロップ国際オープンで横島由一・須貝昇・尾崎、グラハム・マーシュ(オーストラリアの旗 オーストラリア)と並んでの5位タイ[3] [23] 、全日空オープンで海老原清治・内田、テリー・ゲール(オーストラリア)と並んでの7位タイ[24] 、東海クラシックで牧野、ベルンハルト・ランガー(ドイツの旗 ドイツ)と並んでの9位タイ[25] 、大京オープンでは7位[26] に入る。
1988年・1989年と2年連続で日本オープン7位[3] 、1989年は静岡オープンで横島・長谷川・中村と並んでの8位タイ[27] 、ブリヂストン阿蘇オープンで安田と並んでの6位タイ[28] 、仙台放送クラシックで飯合・芹澤信雄・久保田剛司・三上法夫と並んでの4位タイ[29] 、東海クラシックで青木・泉川ピート・大町昭義・中嶋に次ぐ5位[30] に入る。
1990年は第一不動産カップで板井榮一・川岸良兼と並んでの8位タイ[31] が最後の十傑入りとなり、1995年の中日クラウンズ [32] を最後にレギュラーツアーから引退。
シニア転向後は2000年に1日大会の杉原輝雄シニアクラシックで6位タイ[33] 、同大会では2002年に中村・三好隆・須貝に次ぐ4位[34] 、2003年には福沢孝秋・井上久雄と並んでの3位タイ[35] に入る。
2007年の三重県シニアオープン[36] 、2008年の関西プログランドシニア[37] を制し、2010年の日本プロシニアを最後にシニアツアーから引退[4] 。
グレイスヒルズカントリー倶楽部[38] [39] を経て、現在はPGA三重プロゴルフ会会員で、鈴峰ゴルフ倶楽部所属[40] 。
主な優勝
[編集 ]レギュラー
[編集 ]- 1979年 - 三重県オープン
- 1981年 - 三重県オープン
- 1982年 - 静岡オープン
- 1983年 - ブリヂストンオープン、ミズノオープン
- 1984年 - 三重県オープン
- 1986年 - 三重県オープン、中部オープン
- 1987年 - 中部オープン
- 1995年 - 三重県オープン
シニア
[編集 ]- 2007年 - 三重県シニアオープン
- 2008年 - 関西プログランドシニア
脚注
[編集 ]- ^ プロゴルファー / 寺嶋誠志 – Plus 三重
- ^ a b c d e f g 出口 栄太郎選手 プロフィール - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ a b c d 出口 榮太郎選手のプロフィール
- ^ a b c 出口 栄太郎 デグチ エイタロウ EITARO DEGUCHI
- ^ 第48回日本プロゴルフ選手権(1980年) - 日本プロゴルフ殿堂(殿堂コラム)2023年7月19日閲覧。
- ^ a b c 朝日新聞縮刷版p863 昭和57年3月22日朝刊19面「伏兵出口プロ初V 雨中の混戦、湯原に2差 静岡オープンゴルフ」
- ^ a b 【ゴルフ初物語】Vol.53 売り切れ続出で予約販売も!? 40年前「カラーボール」が一大ブームに
- ^ 朝日新聞縮刷版p785 昭和57年3月20日朝刊「湯原、首位守る 静岡オープン」
- ^ 朝日新聞縮刷版p828 昭和57年3月21日朝刊16面「村上、河野ら三人首位に 静岡オープン」
- ^ JGA日本ゴルフ協会【アジア ゴルフ サーキット ダンロップ インターナショナル オープン ゴルフ選手権競技】
- ^ 第13回 1983年(昭和58年) 歴史|〜全英への道〜ミズノオープン|ゴルフ|ミズノ公式オンライン
- ^ ゴルフ日本シリーズの歴史 第20回 – GOLF報知
- ^ 毎日新聞縮刷版p301 昭和59年11月10日朝刊19面「★出口、初日4位」
- ^ 第53回日本プロゴルフ選手権(1985年) - 日本プロゴルフ殿堂(殿堂コラム)2023年7月19日閲覧。
- ^ 三菱ギャラントーナメント 1985 - フルリーダーボード - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ 東北クラシック 1985 - フルリーダーボード - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ ゴルフダイジェスト 1985 - フルリーダーボード - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ Sansan KBCオーガスタゴルフトーナメント2023|KBC九州朝日放送
- ^ KBCオーガスタ 1985 - フルリーダーボード - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ 三重県オープンゴルフ選手権競技 歴代優勝者
- ^ 石井 裕士選手 プロフィール - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ 静岡オープン 1986 - フルリーダーボード - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ ダンロップ国際オープン 1986 - フルリーダーボード - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ 全日空オープン 1986 - フルリーダーボード - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ 東海クラシック 1986 - フルリーダーボード - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ 大京オープン 1986 - フルリーダーボード - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ 静岡オープン 1989 - フルリーダーボード - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ ブリヂストン阿蘇オープン 1989 - フルリーダーボード - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ フルリーダーボード 仙台放送クラシック 1989 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ 東海クラシック 1989 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ 第一不動産カップ 1990 - フルリーダーボード - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ 出口 栄太郎選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ 協和のアガリクス茸 仙生露杯 杉原輝雄シニアクラシック
- ^ ガン撲滅チャリティ・協和のアガリクス茸仙生露杯 杉原輝雄シニアクラシック
- ^ ガン撲滅チャリティ・協和のアガリクス茸仙生露杯杉原輝雄シニアクラシック
- ^ 三重県シニアオープンゴルフ選手権競技 歴代優勝者
- ^ 公益社団法人 日本プロゴルフ協会
- ^ 出口栄太郎(グレイスヒルズGC) プロゴルファー
- ^ 出口栄太郎(グレイスヒルズGC) プロゴルファー
- ^ 会員紹介| PGA三重プロゴルフ会