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傅晏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

傅 晏(ふ あん、? - ?)は、前漢の人物。哀帝の祖母の傅昭儀大司馬 傅喜の従弟、哀帝の皇后の傅皇后の父。

生涯

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綏和2年(紀元前7年)に哀帝が即位すると、傅晏の娘の傅皇后が皇后に立てられ、傅晏は孔郷侯となった[1]

元寿元年(前2年)正月に後ろ盾の傅昭儀が死去[2] 。同月に傅晏は大司馬衛将軍となったが、わずか10日で免ぜられた[3] 。元寿2年(前1年)6月に哀帝が死去すると、王莽王政君が実権を握った。7月に王莽が王政君に出させた詔により、傅晏は傅昭儀とともに弾劾され、孔郷侯を免ぜられ妻子と合浦郡に流された[1]

脚注

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  1. ^ a b 『漢書』哀帝紀、外戚恩沢侯表、外戚伝下
  2. ^ 『漢書』外戚伝下
  3. ^ 『漢書』百官公卿表下

史料

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中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。

参考文献

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