佐野城 (和泉国)
佐野城 (大阪府) | |
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築城主 | 楠木正儀、織田信長 |
築城年 | 正平6年(1351年)、天正4年(1576年)以前 |
主な城主 | 楠木正儀、織田信張 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | なし |
位置 | 北緯34度24分51.7秒 東経135度19分16.7秒 / 北緯34.414361度 東経135.321306度 / 34.414361; 135.321306 座標: 北緯34度24分51.7秒 東経135度19分16.7秒 / 北緯34.414361度 東経135.321306度 / 34.414361; 135.321306 |
地図 |
佐野城の位置(大阪府内) 佐野城 佐野城 |
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佐野城(さのじょう)は、和泉国 日根郡佐野荘(大阪府 泉佐野市)にあった日本の城 [1] 。正確な所在地は不明で[2] 、一説には現在の旭町付近にあったという[3] [4] 。
沿革
[編集 ]南北朝時代、楠木正儀の城として佐野城の名が現れる[2] 。正平6年(1351年)9月、楠木正儀が佐野城を築いて和泉国で北朝方と戦っており[2] 、佐野城の陣固めに淡輪助重が加わっている[5] 。
安土桃山時代になると、織田信長により佐野城が築かれた[2] 。通説では天正5年(1577年)の雑賀攻め後に築城されたとされるが、天正4年(1576年)に比定される織田信長朱印状 [6] の宛先に「佐野在城衆」とあることなどから、その時点で築かれていたことがわかる[7] 。信長の一族である織田信張も天正4年7月には佐野城に入城していたとみられ[8] 、和泉の国人や土豪たちが仕官を求め、佐野の国人の多賀氏に信張への取次を依頼している(「板原家文書」)[9] 。
雑賀攻め後の天正5年(1577年)3月[2] 、織田信張と根来寺杉坊(照算 [10] )が佐野城の定番とされ、雑賀衆ら紀州勢力への押さえの役を務めた[11] 。天正9年(1581年)2月の京都での馬揃えの際には、杉坊が佐野在城衆(「佐野一統者共」)を連れてくる手筈となっていた[12] 。
佐野城は、和泉守護代だった松浦氏旧臣の寺田生家・松浦家兄弟や沼間任世 [注釈 1] の在城する岸和田城・綾井城と共に織田政権による和泉支配を担ってきたが、天正9年(1581年)7月頃に織田信張が岸和田城に入城すると、以後、岸和田城が中央政権の拠点城郭に位置付けられることとなる[14] 。
この後、佐野村の「新城」に籠もる根来僧が鷺森本願寺への参詣者を妨害したり(『並河記録』)[3] [15] 、天正10年(1582年)9月に本願寺が根来寺に参詣者の安全確保への協力を要請するも、佐野城の足軽衆が同心しないという旨が伝えられるなどしており(『天正日記』)、天正11年(1583年)7月に本願寺の顕如や教如らが鷺森から貝塚に移っている[15] 。この根来僧の佐野城は、天正13年(1585年)3月の豊臣秀吉による紀州攻めの際に、守兵が退散して落城したという[16] 。
脚注
[編集 ]注釈
[編集 ]出典
[編集 ]- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 27 大阪府』角川書店、1983年、543–544頁。全国書誌番号:83052043。
- ^ a b c d e 大阪府学務部 編『大阪府史蹟名勝天然記念物 第四冊』大阪府学務部、1929年、202–203頁。全国書誌番号:46086886 。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1119859/119 。
- ^ a b 平井聖; 村井益男; 村田修三 編『日本城郭大系 第12巻 大阪・兵庫』新人物往来社、1981年、235頁。全国書誌番号:81020173。
- ^ "佐野城跡". 日本歴史地名大系. コトバンクより2024年4月27日閲覧。
- ^ 大阪府史編集専門委員会 編『大阪府史 第4巻 中世編II』大阪府、1981年、178頁。全国書誌番号:81034840。
- ^ (天正4年)7月9日付織田信長朱印状。
- ^ 平井 2011, pp. 88, 91.
- ^ 平井 2011, pp. 91–92.
- ^ 山中 2008, p. 56; 平井 2011, pp. 91–92.
- ^ 廣田浩治 著「杉坊明算・照算―軍事を担った根来寺の院家」、天野忠幸 編『戦国武将列伝7 畿内編 上』戎光祥出版、2022年、366頁。ISBN 978-4-86403-446-3。
- ^ 山中 2008, pp. 55–56; 平井 2011, p. 92.
- ^ 平井 2011, p. 104.
- ^ 嶋中佳輝「織田信長と和泉松浦氏の動向」『十六世紀史論叢』第16号、1–27頁、2022年。CRID 1520855656168082048。
- ^ 山中 2008, pp. 53–57.
- ^ a b 高石市史編纂会 編『高石市史 第1巻 本文編』高石市、1989年、552頁。全国書誌番号:90013986。
- ^ 和歌山市史編纂委員会 編『和歌山市史 第1巻 自然・原始・古代・中世』和歌山市、1991年、1026頁。全国書誌番号:92017003。
参考文献
[編集 ]- 平井上総 著「織田権力の和泉支配」、戦国史研究会 編『織田権力の領域支配』岩田書院、2011年、85–122頁。ISBN 978-4-87294-680-2。
- 山中吾朗 著「戦国期和泉の地域権力と岸和田城」、大澤研一; 仁木宏 編『岸和田古城から城下町へ―中世・近世の岸和田―』和泉書院〈上方文庫 34〉、2008年、37–64頁。ISBN 978-4-7576-0481-0。