佐瀬与次右衛門
表示
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐瀬 与次右衛門(させ よじえもん、寛永7年(1630年) - 正徳元年6月11日(1711年 7月26日))は、江戸時代前期から中期にかけての農業指導者[1] 、篤農家[2] 。名は末盛[1] 。通称は幼名吉十郎、のち仙右衛門、晩年は与次右衛門[1] [2] 。
経歴・人物
[編集 ]陸奥国 会津郡幕内村の肝煎佐瀬家の長男として生まれる[2] 。会津各地を巡り農業技術の改良や農業経営の指導に努め、貞享元年(1684年)に『会津農書』、他に幕内村の地誌である『会津幕内誌』や『会津農書附録』などの農書を著した[1] [2] 。『会津農書』は元禄2年(1689年)に藩から褒賞を受けた[2] 。のち『会津農書』を農民にも容易に理解できるよう和歌にした『会津歌農書』を宝永元年(1704年)に著した[2] 。
脚注
[編集 ][脚注の使い方]