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佐々木重綱

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(2018年11月)
 
佐々木重綱/大原重綱
時代 鎌倉時代前期 - 中期
生誕 承元元年(1207年)
死没 文永4年6月14日(1267年 7月7日)
別名 太郎、大原重綱
官位 左衛門尉
幕府 鎌倉幕府
主君 藤原頼経頼嗣
氏族 近江源氏 佐々木氏(大原氏)
父母 父:佐々木信綱
兄弟 重綱高信泰綱氏信藤原行方
長綱頼重秀綱政綱時綱氏綱綱弁福永高基
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佐々木 重綱(ささき しげつな)は、鎌倉時代前期から中期にかけての武将御家人近江国 大原氏の祖であることから大原重綱ともいわれる。

略歴

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承元元年(1207年)、佐々木信綱の長男として誕生。

鎌倉幕府に仕え、承久の乱では父と共に北条泰時の東上軍に従って入京し、宇治川の戦いでは先陣を務める武功を挙げた。乱の後は4代将軍九条頼経の近習として仕えた。しかし仁治3年(1242年)に父が死去すると、父の生前に家督と所領を譲られていた弟・泰綱と抗争し、寛元元年(1243年)には幕府に対して訴訟を起こし、幕府により泰綱の近江国内における所領を譲り受けている。このため、佐々木氏の勢力の分散化が始まった。

文永4年(1267年)6月14日に死去。享年61。

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