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伊藤萬助 (初代)

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初代伊藤 萬助(いとう まんすけ、嘉永5年3月21日(1852年 5月9日)[1] - 大正8年(1919年)4月16日 [2] )は、日本商人実業家。大阪有数の洋反物 商(羽州屋[3] )。大阪府多額納税者 [4]

大阪曳船株式会社取締役 [3] 摂津紡績株式会社取締役[3] 。大阪毛布製造株式会社社長 [3] 三十四銀行 監査役 [5] 大阪府 平民 [4]

家族・親族

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伊藤家

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(大阪府 大阪市 東区 本町 [3] 安土町 [4] )
  • 父・忠右衛門[4]
  • 妻・しな(大阪、平民中村平兵衛二女[4] )
万延元年(1860年)11月生[4] - 没
萬助 [6]
明治12年(1879年)3月生[6] - 昭和38年(1963年)3月22日没
萬治郎 (分家[6] )
明治16年(1883年)3月生[6] - 没
同妻・カナ(大阪貯蓄銀行 頭取 山口竹治郎[7] )
良三 (分家[6] )
明治26年(1893年)11月生[6] - 没
豊四郎 (分家[6] )
明治31年(1898年)1月生[6] - 没
萬龜(分家して大谷藤治郎を迎える[6] )
明治22年(1889年)11月生[6] - 没
ます(大阪府多額納税者高田久右衛門に嫁す[8] [6] )
明治19年(1886年)3月生[6] - 没

関連

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史料

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  • 『時事新報社第三回調査全国五拾万円以上資産家』時事新報 1916・3・29-1916・10・6(大正5)によれば[5]
財産見積額・四百万円しろまる伊藤万助(洋反物商)東区 安土町四 財産種別・有価証券土地 [5]
略歴 - 嘉永五年大阪に生る、先代伊藤忠右衛門氏の三男にして明治七年 分家して一家を創設し今日の家運を開けり現に摂津紡績 取締役三十四銀行 監査役にして大阪府 多額納税者たる外大阪第一流の洋反物商なり[5]

脚注

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  1. ^ 『人事興信録 5版』(人事興信所、1918年)い46頁
  2. ^ 『官報』第2076号附録、1919年7月7日。
  3. ^ a b c d e 『明治人名辞典II 上巻』(底本・『日本現今人名辞典(明治三三年)』)いノ二十七
  4. ^ a b c d e f 『人事興信録. 5版』(大正7年)い四六
  5. ^ a b c d 『時事新報社第三回調査全国五拾万円以上資産家』
  6. ^ a b c d e f g h i j k l 『人事興信録. 第11版』(昭和12年)上イ九八
  7. ^ 『人事興信録. 第11版』(昭和12年)下ヤ一〇八
  8. ^ 『人事興信録』(昭和3年)タ一〇九


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