伊藤淳二
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いとう じゅんじ 伊藤 淳二 | |
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生誕 |
1922年7月10日 中華民国の旗 中華民国、青島市 |
死没 | (2021年12月19日) 2021年 12月19日(99歳没) |
出身校 | 慶應義塾大学経済学部卒 |
職業 | 実業家 |
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伊藤 淳二(いとう じゅんじ、1922年 7月10日 - 2021年 12月19日 [1] )は、日本の実業家。武藤絲治に認められ、のちにカネボウ会長になる。日本航空元会長。建築学者の横尾義貫は従兄にあたる。
略歴
[編集 ]- 1922年(大正11年)7月22日 - 中国青島市で出生。神戸市育ち。旧制兵庫県立神戸第一中学(兵庫県立神戸高等学校)卒業。
- 1947年(昭和22年) - 慶應義塾大学経済学部卒、鐘淵紡績(後のカネボウ)入社
- 1961年(昭和36年) - 経営多角化を目指す「グレーターカネボウ計画」の立案に関わる
- 1968年(昭和43年) - 武藤絲治(カネボウ武藤山治の息子)の後継指名を受け、45歳で社長就任。労使協調、「ペンタゴン経営」と称する経営多角化路線を更に推し進める
- 1984年(昭和59年) - 会長に就任
- 1985年(昭和60年) - 中曽根内閣による日本航空の民営化方針を受け、同社副会長を兼任
- 1986年(昭和61年) - 日本航空会長。『45/47体制』廃止対応や日本航空123便墜落事故の収拾に当る傍ら、労使協調と経営多角化路線をここでも推進
- 1987年(昭和62年) - 労使対立が深刻化し、任期半ばにして日本航空会長を辞任
- 1992年(平成4年) - カネボウの経営から実質的に身を引き、同社名誉会長に就く
- 1995年(平成7年) - 同社名誉会長を勇退。終身名誉会長に就く
- 2003年(平成15年) - 同社終身名誉会長を勇退。鐘紡記念病院名誉理事長に就任
- 2021年(令和3年)12月 - 死去[2] [3] [4] 。99歳没。
主著
[編集 ]関連書籍
[編集 ]- 城山三郎『役員室午後三時』- 主人公のモデル
- 山崎豊子『沈まぬ太陽』- 登場人物の国見会長のモデル
- 嶋田賢三郎『責任に時効なし―小説 巨額粉飾』- カネボウ破綻に関し伊藤ら旧経営陣の責任を問うたもの。著者は同社元常務。
- 松尾健治『組織衰退のメカニズム:歴史活用がもたらす罠』白桃書房、2022年2月。ISBN 9784561267638。 - 旧カネボウが戦後に衰退していくプロセスとメカニズムについて、史料や関係者の証言をもとに詳細に分析した経営学の書籍。伊藤淳二の意思決定、リーダーシップスタイル、人物像についても詳細に記述・分析している。
出典
[編集 ]関連項目
[編集 ]歴代社長 | |
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歴代会長 |
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グループ企業 | |
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主な製品 | |
歴代キャンペーンガール | |
関連項目 | カネボウ - トリニティ・インベストメント - カネボウ化粧品 - KBセーレン - ベルポリエステルプロダクツ - KBツヅキ(旧KBスピニング)- KBフクスケ(旧カネボウストッキング)- クラシエフーズ - クラシエホームプロダクツ - ホーユー - 花王 - 三甲テキスタイル - 森永甲府フーズ(旧甲府ベルフーズ) - 神戸百年記念病院 - ハリス - 中滝製薬工業 - ミヨシ油脂 - 渡辺製菓 - エルビー - 鐘淵デイゼル工業 - カネカ - 近鉄バス - ソフト99コーポレーション - 鐘紡洲本工場(洲本アルチザンスクエア・旧鐘紡洲本工場原綿倉庫・旧鐘紡洲本第3工場汽缶室) - 鐘淵紡績練馬工場 - 新町紡績所 - 鐘紡住道工場 - 旧武藤家別邸洋館 - 鐘紡前駅 - 丸子鐘紡駅 - 鐘ヶ淵駅 - 花王陸上競技部(旧:カネボウ陸上競技部) - カネボウバレーボール部 - 全鐘紡 -鐘淵化学硬式野球部 - ヨコソーレインボータワー - ベルパーク - キャナルシティ博多 - イオンモール鈴鹿 - イオンタウン防府 - 三和グループ - みどり会 |
主な一社提供番組 | ハリスの旋風 - 宇宙エース - ドンキッコ - 五木寛之の夜 - カネボウヒューマンスペシャル - きれいになるテレビ - FAN - FUN - カネボウ木曜劇場 - くらしのサプリ!集合!鈴木三姉妹 |
関連人物 | |
便宜上、事実上の前身であるカネボウ関係の項目および人物も含める。また、カネボウに吸収合併されたハリスなどの一社提供番組は含めない。 |