仏照徳光
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仏照徳光 | |
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宣和3年 - 嘉泰3年3月20日 (1121年 - 1203年 5月3日) | |
諡号 | 普慧宗覚大禅師 |
尊称 | 仏照禅師 |
生地 | 臨江軍新喩県 |
没地 | 臨安府 径山寺(浙江省 杭州市) |
宗派 | 臨済宗大慧派 |
寺院 | 光孝禅寺、阿育王寺、霊隠寺、径山寺 |
師 | 大慧宗杲 |
弟子 |
北礀居簡、無際了派、妙峰之善 空叟宗印、浙翁如琰、大日房能忍 退谷義雲、朴翁義銛、東禅智観 海門師斎、雲居梵琮、石庵正玸 鏡中 大、孤雲 権、鍾山 印 |
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仏照徳光(ぶっしょう とっこう)は、南宋で活動した臨済宗大慧派の禅傑である。拙庵徳光・東庵徳光とも。大慧下2世。
生涯
[編集 ]宣和3年(1121年)、臨江軍新喩県で誕生した。俗姓は彭氏。紹興5年(1135年)、東山光化寺で出家し、阿育王山の大慧宗杲の許に参禅してその法を嗣いだ。光孝禅寺を初めてとして阿育王寺・霊隠寺や径山寺に歴住し、孝宗により仏照禅師の称号を賜った。
嘉泰3年3月20日(1203年 5月3日)遷化。勅諡普慧宗覚大禅師。法嗣に北礀居簡・妙峰之善・浙翁如琰ならびに大日房能忍がおり、語録として仏照禅師奏対録、仏照光和尚語要がある。また、金閣寺に金渡の墨蹟と呼ばれる遺芳が伝わり、重要文化財に指定されている。
参考文献
[編集 ]- 禅学大辞典編纂所 編 『新版 禅学大辞典』p.956 1985年