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今出川公久

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(2023年10月)
 
今出川 公久
今出川公久像(京都大学附属図書館所蔵)部分
時代 江戸時代後期
生誕 文化3年5月23日(1806年 7月9日)
死没 天保7年8月17日(1836年 9月27日)
官位 正二位権中納言
主君 光格天皇仁孝天皇
氏族 今出川家
父母 父:今出川尚季、母:鷹司致子
兄弟 公久随季
不詳
実順 美賀子
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今出川 公久(いまでがわ きんひさ)は、江戸時代後期の公卿官位正二位権中納言

経歴

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文化4年(1807年)に叙爵。以降累進して、侍従右近衛権少将を経て、文政元年(1818年)に従三位となり、公卿に列する。その後も左近衛権中将踏歌節会外弁を経て、文政7年(1824年)に従二位権中納言となる。天保3年(1832年)よりは大歌所 別当を兼務。しかし天保7年(1836年)にすべての任職を辞した。同年に死去。享年31。

系譜

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関連項目

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