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京極高文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避 子爵京極高徳の六男で子爵京極高備の養子の京極高文(文彦)とは異なります。
 
京極 高文
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦3年6月20日(1753年 7月20日)
死没 寛政8年10月14日(1796年 11月13日)
改名 内膳(幼名)、高文
別名 高英、高武(別名)
戒名 良俊院殿英山道雄大居士
墓所 東京都港区南麻布の光林寺
官位 従五位下壱岐
幕府 江戸幕府
讃岐 多度津藩
氏族 京極氏
父母 父:京極高慶、母:黒田直純の娘
兄弟 高明、軽三郎、高文黒田治高
高賢 、好之助、千勢姫(毛利高明室)、娘(五島運竜正室)、娘(大島義徳室)、娘(大久保忠晦正室)
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京極 高文(きょうごく たかふみ)は、讃岐 多度津藩の第3代藩主。多度津藩京極家3代。

人物

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宝暦3年(1753年)6月20日、第2代藩主・京極高慶の六男として江戸屋敷で生まれる。宝暦6年(1756年)に父が死去したため、家督を継いだが、幼少のために京極主殿の補佐を受けた。明和6年(1769年)12月18日に従五位下・壱岐守に叙位・任官する。

寛政4年(1792年)9月に駿府 加番に任じられる。寛政8年(1796年)7月5日、家督を長男・高賢に譲って隠居する。3ヵ月後の10月14日、江戸麻布の鳥居坂屋敷で死去した。享年44。

京極家多度津藩3代藩主 (1756年 - 1796年)
宗家
中世
近世以降
(丸亀京極家)

分家・支流

高次流分家
多度津京極家
高知流
宮津/高家京極家
豊岡京極家
峰山京極家

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