五平蔵町
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五平蔵町 | |
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五平蔵町の位置(愛知県内) 五平蔵町 五平蔵町 五平蔵町の位置 | |
北緯35度11分28.47秒 東経136度53分37.76秒 / 北緯35.1912417度 東経136.8938222度 / 35.1912417; 136.8938222 | |
国 | 日本の旗 日本 |
都道府県 | 愛知県の旗 愛知県 |
市 | 名古屋市 |
区 | 西区 |
町名制定 | 1878年(明治11年)[1] |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
市外局番 | 052 |
ナンバープレート | 名古屋 |
五平蔵町(ごへいぞうちょう)は、愛知県 名古屋市 西区の地名。1丁目から3丁目まであった[2] 。現在の城西四丁目・城西五丁目の各一部に相当する[1] 。また、町内会の名称にその名をとどめている[3] 。
地理
[編集 ]東は山神町、西は新屋敷町、南は泥町、北は庭町・山神町に接する[2] 。
学区
[編集 ]- 高等学校 - 尾張学区
- 中学校 - 名古屋市立浄心中学校
- 小学校 - 名古屋市立城西小学校
人口
[編集 ]国勢調査による人口の推移
1950年(昭和25年)
147人[4]
1955年(昭和30年)
225人[4]
1960年(昭和35年)
234人[5]
1965年(昭和40年)
252人[5]
1970年(昭和45年)
228人[6]
1975年(昭和50年)
229人[6]
歴史
[編集 ]地名の由来
[編集 ]由来は不詳というが、清洲越し以前の今川氏の名護屋城時代に穀倉が設置された場所という説、山神天神の鎮座地にあたることから御幣蔵が転訛したものであるとの説があるという[2] 。
沿革
[編集 ]- 1878年(明治11年)12月28日 - 名古屋区成立に伴い、同区五平蔵町となる[1] 。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 名古屋市成立に伴い、同市五平蔵町となる[1] 。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 西区成立に伴い、同区五平蔵町となる[1] 。
- 1980年(昭和55年)10月12日 - 住居表示の実施に伴い、西区城西四丁目・城西五丁目に編入され、消滅[1] 。
脚注
[編集 ][脚注の使い方]
- ^ a b c d e f 名古屋市計画局 1992, p. 757.
- ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 569.
- ^ 名古屋市西区役所区民福祉部民生子ども課民生子ども係 (2014年7月14日). "50周年記念ポスター入選作品". 名古屋市. 2015年1月23日閲覧。
- ^ a b 名古屋市総務局企画室統計課 1957, p. 76.
- ^ a b 名古屋市総務局企画部統計課 1967, p. 70.
- ^ a b 名古屋市総務局統計課 1977, p. 44.
参考文献
[編集 ]- 名古屋市総務局企画室統計課 編『昭和31年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1957年。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『昭和41年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1967年。
- 名古屋市総務局統計課 編『昭和51年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1977年。
- 名古屋市総務局統計課 編『昭和55年国勢調査 名古屋の町・丁目別人口(昭和55年10月1日現在)』名古屋市役所、1981年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年。ISBN 4-04-001230-5。
- 名古屋市計画局 編『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年。
関連項目
[編集 ] 西 五平蔵町 東
南
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