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九鬼精隆

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(2017年5月)
 
九鬼 精隆
時代 江戸時代後期
生誕 文政7年4月14日(1824年 5月12日)
死没 安政6年8月19日(1859年 9月15日)
墓所 兵庫県 三田市西山の心月院
官位 従五位下丹波守長門守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家定家茂
摂津 三田藩
氏族 九鬼氏
父母 父:九鬼隆徳
兄弟 精隆、シゲ、西貢室
正室:於咸(大村純昌七女)
於金ら、隆義
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九鬼 精隆(くき きよたか)は、江戸時代後期の大名摂津国 三田藩12代藩主。官位従五位下 丹波守長門守。九鬼氏24代当主。

略歴

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11代藩主九鬼隆徳の長男として誕生。

嘉永7年(1854年)1月20日、父の隠居で跡を継いだ。安政6年(1859年)8月19日に36歳で死去したが、男子がなく、娘3人も2人が既に夭折、2歳の娘1人が残るのみであったため、御家断絶の危機にさらされた。精隆の死を隠匿して綾部藩より迎えた隆義を婿養子に決め、9月18日に幕府に急養子の届けを出して許可を得た(末期養子)。そのような事情のため、精隆の死が発表されたのは9月23日であった。

九鬼精隆の墓(兵庫県 三田市心月院)
九鬼氏三田藩12代藩主 (1854年 - 1859年)
山崎家
有馬家

1602年から丹波 福知山藩に併合され、一旦廃藩。1626年に復活。

能見松平家
九鬼家

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