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乙瀬氏

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乙瀬氏

丸に橘 (まる に たちばな)(代表的な家紋)
(注記) 各氏によって異なる。
氏姓 乙瀬朝臣
始祖 天足彦国押人命(孝昭天皇の第1皇子)
出自 粟田氏
氏祖 粟田臣乙瀬
種別 皇別
本貫 近江国
近江国 坂田郡
和泉国 大鳥郡
阿波国 板野郡
周防国 玖珂郡
ほか
後裔 (乙瀬家)(おとぜ)
(乙瀬家)(おつせ) など
凡例 / Category:氏

乙瀬氏(おとせうじ)は、「乙瀬」をの名とする氏族粟田氏の流れを汲む氏族。始祖は天足彦国押人命(孝昭天皇)の第1皇子)。

概要

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乙瀬氏の始まりは近江国 坂田郡人粟田臣乙瀬が徳島県 鳴門市 瀬戸町 明神弐軒家に移り住んだのが起源とされている。

孝昭天皇皇子である天足彦国押人命(あめのおしたらしひこのみこと)を祖とする和珥氏の枝氏である。 和珥氏春日氏粟田氏 → 乙瀬氏

ははじめはであったが、天平神護元年(765年)三月癸巳朝臣に列せられた。

徳島県 板野郡 藍住町 乙瀬江戸時代から記録のある地名。山口県 岩国市小瀬乙瀬という地名もある。

子孫は大阪府 堺市 中区乙瀬家(おつせ)、徳島県鳴門市乙瀬家(おとぜ)が居るとされる。

幕末の領地

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国立歴史民俗博物館の『旧高旧領取調帳データベース』より算出した幕末期の乙瀬領は以下の通り。(3村・2325石余)

  • 阿波国 板東郡のうち - 3村
    • 乙瀬村 - 294石1斗1升3合0勺
    • 奥野村 - 1123石4斗3升9合0勺
    • 大寺村 - 908石5斗2升4合0勺

資料

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  1. 続日本紀』巻第二十六、称徳天皇 天平神護元年3月2日条

関連項目

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