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久保田豊

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曖昧さ回避 この項目では、実業家について説明しています。同姓同名の元日本社会党衆議院議員については「久保田豊 (政治家)」をご覧ください。

久保田 豊(くぼた ゆたか、1890年 4月27日 - 1986年 9月9日)は、日本実業家位階正三位日窒コンツェルン野口遵と共に、当時世界最大級の水豊ダムをはじめ、朝鮮北部に大規模なダムを建設した[1] 。戦後は建設コンサルタント会社日本工営社長を務めた[1]

履歴

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伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません 人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。(2023年3月)

業績

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日窒コンツェルン長津江水電朝鮮送電の取締役を経て、朝鮮電業社長に就任。当時世界的な生産規模を有していた朝鮮窒素肥料興南工場などへ電力を供給する体制を整えた。また世界でも最大級のダムである鴨緑江水豊ダムの建設を実現した。戦後、ビルマ(現ミャンマー)のバルーチャン発電計画を受注し、これは結果的にODAの原点となる戦後賠償の第1号案件につながった[3] [4] 。その後、ベトナムダニムダムラオスナムグムダムインドネシア韓国南米アフリカ諸国の電源開発・農業水利のコンサルタントとして日本の技術輸出の新しい分野を開拓した[1] 2013年(平成25年)、国際コンサルティング・エンジニア連盟(FIDIC)から、過去100年間に建設されたインフラ施設や100年間に活躍した技術者に贈られる「FIDIC Centenary Awards(FIDIC100周年記念賞)」個人部門の大賞を受賞した[5]

栄典

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外国勲章佩用允許

注釈

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  1. ^ a b c "世界最大のダム建設、久保田豊が途上国のインフラ開発に一生を捧げたワケ(ビジネス+IT)". Yahoo!ニュース. 2019年9月11日閲覧。
  2. ^ 『日本近現代人物履歴事典』220頁。
  3. ^ 金井晴彦 (2017). "ミャンマーの電力開発事情". OECC会報 67: 8. https://www.oecc.or.jp/wp-content/uploads/2017/05/67p8.pdf . 
  4. ^ 原田信男「ビルマ・バルーチャン水力発電所開発関係資料について――日本工営地質調査技師・境田正宣のノートと写真――」『Asia Japan Journal』第5巻、国士舘大学アジア・日本研究センター、2010年、97-113頁。  p.101より
  5. ^ "FIDIC100周年記念賞". 一般社団法人海外コンサルティング企業協会. 2019年9月11日閲覧。
  6. ^ 有末精三外十七名外国勲章記章受領及佩用の件」 アジア歴史資料センター Ref.A10113505700 

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。

関連項目

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外部リンク

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