下穴馬村
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しもあなまむら 下穴馬村 | |
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廃止日 | 1956年9月30日 |
廃止理由 |
新設合併 上穴馬村、下穴馬村 → 和泉村 |
現在の自治体 | 大野市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本の旗 日本 |
地方 | 中部地方(北陸地方) |
都道府県 | 福井県 |
郡 | 大野郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 128.29 km2. |
総人口 |
2,860人 (国勢調査、1955年) |
隣接自治体 | 大野市、大野郡上穴馬村、石徹白村、西谷村 |
下穴馬村役場 | |
所在地 | 福井県大野郡下穴馬村 |
座標 | 北緯35度54分19秒 東経136度40分01秒 / 北緯35.90536度 東経136.66689度 / 35.90536; 136.66689 座標: 北緯35度54分19秒 東経136度40分01秒 / 北緯35.90536度 東経136.66689度 / 35.90536; 136.66689 |
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下穴馬村(しもあなまむら)は福井県 大野郡にあった村。現在の大野市南東部、越美北線・九頭竜湖駅の周辺にあたる。
地理
[編集 ]歴史
[編集 ]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、長野村、鷲村、角野村、下大納村、上大納村、下山村、板倉村、朝日村、貝皿村、川合村、伊月村、後野村、角野前坂村、朝日前坂村及び石徹白村の区域をもって、下穴馬村が発足する。
- 1896年(明治29年)5月1日 - 大字石徹白の区域が分立して、石徹白村 が発足する。
- 1936年(昭和11年)2月2日 - 上火納地区にあった中立亜鉛工場が雪崩に遭い17人が死亡[1] 。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 下穴馬村及び上穴馬村が合併して、和泉村 が発足する。
交通
[編集 ]鉄道路線
[編集 ]現在は旧村域に越美北線の越前下山駅・九頭竜湖駅が所在するが、当時は未開業。
道路
[編集 ]脚注
[編集 ][脚注の使い方]
- ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、45頁。ISBN 9784816922749。
参考文献
[編集 ]- 角川日本地名大辞典 18 福井県
関連項目
[編集 ] スタブアイコン
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