上田兵吉
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上田 兵吉 | |
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生誕 |
1869年 3月22日 日本の旗 日本 徳島藩 |
死没 | (1931年09月06日) 1931年 9月6日(62歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1891 - 1919 |
最終階級 | 陸軍少将 |
指揮 |
歩兵第24旅団長 歩兵第44連隊長 |
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上田 兵吉(うえだ へいきち、1869年 3月22日(明治2年2月10日 [1] ) - 1931年(昭和6年)9月6日 [2] )は、明治から昭和初期の日本陸軍 軍人、政治家、華族。旧姓は杉崎。
歩兵第24旅団長、第17師団 参謀長を歴任し、最終階級は陸軍少将 従三位 勲二等 功四級 男爵 [2] 。義父は朝鮮駐剳軍司令官・台湾守備軍司令官を務めた上田有沢 陸軍大将。
経歴
[編集 ]杉崎組蔵の三男として生まれる。1891年(明治24年)7月20日に第2期士官候補生として陸軍士官学校を卒業し、1892年(明治25年)3月21日、歩兵 少尉に任官される。同期には菅野尚一大将・森岡守成大将・鈴木孝雄大将らがいる。
中尉・大尉と進み1902年(明治35年)11月に陸軍大学校(16期)を卒業する。階級は中佐となり、1908年(明治41年)6月15日、侍従武官に任命され、1912年(明治45年)3月11日、陸軍大佐に進む。1912年(大正元年)11月27日に歩兵第44連隊長を補され、1914年(大正3年)8月10日、本郷房太郎 師団長のもと第17師団参謀長に就任する。1915年(大正4年)から師団は満州に派遣された。
1917年(大正6年)8月6日、陸軍少将に任官され、歩兵第24旅団長に就任する。1919年(大正8年)7月25日、待命となり、同年11月1日、予備役編入。義父有沢薨去に伴い、1922年(大正11年)1月20日に男爵を襲爵した[3] 。
1925年(大正14年)4月8日、補欠選挙で貴族院男爵議員に選出され[4] 、公正会に所属し死去するまで在任した[2] [5] 。
栄典
[編集 ]- 位階
- 勲章等
- 1920年(大正9年)11月1日 - 大正三年乃至九年戦役従軍記章 [9]
脚注
[編集 ][脚注の使い方]
参考文献
[編集 ]- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 上田有沢 |
男爵 上田(有沢)家第2代 1922年 - 1931年 |
次代 上田稔 |