三田智子
個人情報 | |
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生誕名 | 三田 智子 |
フルネーム | 三田 ジョンストン 智子 |
国籍 | 日本の旗 日本 |
生誕 | (1973年05月22日) 1973年 5月22日(51歳) 日本の旗 日本 東京都 |
居住地 | イギリスの旗 イギリス |
身長 | 162 |
ウェブサイト | 三田ジョンストン智子オフィシャルブログ |
スポーツ | |
国 | 日本の旗 日本 |
競技 | チアリーダー |
三田 智子(みた ともこ、1973年 5月22日 - 、現在名:三田 ジョンストン 智子(みた Johnston ともこ)は、東京都出身の元チアリーダー。 身長は162cm。好きな色は水色、白、銀色。現在はイギリス在住[1] 。
日本人初のNFL チアリーダーの1人で、主にダラス・カウボーイズで1998年と2000年にチアリーダーとして活躍した。
来歴
[編集 ]バトントワリングで高校2年の時に世界大会に出場した[2] 。
玉川学園女子短期大学在学中、自らチアダンスクラブ「玉川大学体育会ダンスドリルチーム JULIAS」を創設[3] 。1993年には初出場で学生選手権を制覇、そのまま全米学生チアダンス選手権に出場し6位入賞[2] 。
1994年に渡米し、オクラホマ州立大学に単身留学[3] 。後にスティーヴン・F・オースティン州立大学(テキサス州)のメンバーとなり、全米大学学生選手権大会優勝を飾る[2] 。
1997年、NFLのダラス・カウボーイズのチアリーダーズオーディションに最終選考まで残るが不合格。再度カウボーイズのチアリーダーオーディションを受けることを決意、経験を積むためシアトル・シーホークスに3ヶ月在籍、この時石井球江(レイダース)と共に日本人初のNFLチアリーダーとなった。翌年のオーディションでカウボーイズに2度目の挑戦をし合格となった[3] 。
一度は帰国も、2000年にカウボーイズに2度目の合格。日本の東京ドームで同年8月6日開催されたアメリカンボウルにチアリーディングメンバーとして凱旋[4] 。ダラス・カウボーイズでは三田以降、2名の日本人チアリーダーが誕生している[5] 。
2001年に帰国し、有限会社ダンス・チアーエンタテインメントを設立。6月には新潟県を中心に活動するアルビレックスチアリーダーズのチームディレクターに就任。アルビレックス出身のNFLチアリーダーは2003年に柳下容子がチャージャーズに合格。その後は08年の小野綾子(パンサーズ=NHL、ジャガーズ)、12年の安藤美和(バッカニアーズ)がいる[6] 。2020年をもってアルビレックスチアリーダーズトップチームチーフディレクターを退任した[7] 。
現在はテレビ出演や執筆活動なども通じ日本でのチアリーディング普及に努めている。また、現在は三田ジョンストン智子という名前で活動している。
2011年から2020年のシンガポールに在住の後、2021年にイギリスへ移住。
脚注
[編集 ]- ^ "DCC ALUMNI SPOTLIGHT – TOMOKO MITA JOHNSTON" (英語). 2022年2月18日閲覧。
- ^ a b c "vol.2 三田 ジョンストン 智子(前篇)". Dazzling Style. 2022年10月31日閲覧。
- ^ a b c 近藤冨士雄 (2022年9月15日). "9月19日(月)のゲストは日本人初のNFLチアリーダー・三田ジョンストン智子さん!". さくらFM. 2022年10月31日閲覧。
- ^ 小座野容斉 (2014年7月17日). "美しきチャレンジャーの記憶 本場米国に挑んだ日本人たち". 共同通信. 2022年10月31日閲覧。
- ^ "河田侑子さん 11年ぶりカウボーイズ・チアリーダー誕生へ、最終選考進出 - スポニチ Sponichi Annex スポーツ". スポニチ Sponichi Annex. 2022年2月18日閲覧。
- ^ "飛田野芽生「合格したい」NFLチアリーダーに挑戦 - スポーツ : 日刊スポーツ". nikkansports.com. 2022年2月18日閲覧。
- ^ "チーフディレクター 三田・ジョンストン・智子 退任のお知らせ | アルビレックスチアリーダーズ Official Web Site". www.albirex-cheerleaders.com. 2022年2月18日閲覧。