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三吉氏

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(2017年3月)
曖昧さ回避 この項目では、備後国の国人領主で日本の氏族の一つ、三吉氏について説明しています。
  • 阿波国の戦国大名で日本の氏族の一つ三好氏については「三好氏」をご覧ください。
  • 渡来人系の一族で後に朝臣となった日本の氏族の一つ三善氏については「三善氏」をご覧ください。
三吉氏
吉字に二つ星
本姓 藤姓 鎌足流三吉氏
家祖 藤原兼範
種別 武家
出身地 備後国北部
主な根拠地 備後国北部
著名な人物 三吉隆亮
三吉広高
毛利元就側室三吉氏
三吉慎蔵
凡例 / Category:日本の氏族

三吉氏(みよしし、みよしうじ)は、日本氏族の一つ。藤原鎌足の子孫、藤原兼範(かねのり、藤原行成の子)を祖とし、備後国の国人領主として成長した備後三吉氏が有名。

備後三吉氏の歴史

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備後国へ下向、国人領主として成長する

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12世紀に兼範が近江国から備後国三吉郷に下向、その子・兼宗(かねむね)が三吉大夫と称し、三吉氏の初代となった。比叡尾山城を拠点とし、国人領主として備後国内で勢力を拡大していった。

鎌倉幕府滅亡の頃、三吉氏は後醍醐天皇に味方し、後に中国地方に下ってきた足利直冬に従った。直冬の勢力が衰えると、近隣の有力大名である山名氏大内氏尼子氏の下を転々とした。戦国時代の当主・三吉致高(むねたか/おきたか)は、天文9年(1540年)、吉田郡山城の戦いの前哨戦である宍戸氏祝屋城攻撃、そして本戦である吉田郡山城の戦いにも尼子方として参戦した。その後は大内方に転じ、月山富田城の戦いにも大内方として参戦した。そのため天文13年(1544年)には尼子氏の攻撃を受けたが、毛利氏の援軍を受けて撃退した(布野崩れ)。

毛利氏に従属、関ヶ原の後に広島藩士へ

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大内義隆大寧寺の変で自害すると、当主の三吉隆亮(たかすけ)は天文22年(1553年)に父の三吉致高とともに自立性を保ちながら毛利元就に従属した。また、三吉致高の娘(一族の娘とも)を元就の側室とした。毛利氏に従属後は、その家臣として中国地方各地に出陣し、多くの戦功を挙げた。三吉広高は天正19年(1591年)頃に比熊山城を築き、新たに居城とし、その出城を現尾関山公園のあるところに設置した。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにも参戦したが、不戦敗を喫して毛利氏は防長移封となった。広高はこれに従わずに浪人して京都に上り、後に安芸 広島藩主となった浅野氏に取り立てられた。以降、三吉氏はそのまま広島藩士として浅野氏に仕えた家系と、長府藩士として再び毛利氏に仕えた家系とに分かれて続いた。長府藩士の家系からは幕末の志士三吉慎蔵(三吉時治)が出ている。

備後三吉氏歴代当主

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(* < より右は偏諱を与えた人物(主君)を示す。)

  1. 三吉兼宗
  2. 三吉兼家
  3. 三吉信兼
  4. 三吉秀高
  5. 三吉光高
  6. 三吉高家
  7. 三吉家秀
  8. 三吉秀明
  9. 三吉照秀
  10. 三吉熈秀 < 山名時熈(備後国 守護)
  11. 三吉豊秀 < 山名持豊(宗全)(備後国守護)
  12. 三吉豊高 < 山名政豊(備後国守護)
  13. 三吉致高 < 山名致豊(備後国守護)
  14. 三吉隆亮 < 大内義隆
  15. 三吉広高 < 毛利氏(祖先・大江広元の1字を与えられる)
  16. 三吉元高 < 毛利輝元
  17. 三吉高俊
  18. 三吉某 - (注記)実名不詳。
  19. 三吉玄貞

系譜

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実線は実子、点線(縦)は養子。
 
 
 
兼範
 
 
 
三吉兼宗1
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
兼家2 伊多岐保信
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
信兼3 家信 原政家 八次家宗 青河時兼
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
秀高4 酒屋家通 布野国兼 河内某 河立義家
 
 
 
光高5
 
 
 
高家6
 
 
 
家秀7
 
 
 
秀明8
 
 
 
照秀9
 
 
 
熈秀10
 
 
 
豊秀11
 
 
 
豊高12
 
 
 
致高13
 
 
 
隆亮14
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
広高15 粟屋隆信 隆勝 隆俊
 
 
 
元高16
 
 
 
高俊17
 
 
 
18
 
 
 
玄貞19
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
広島藩士 長府藩士
 
 
 
(数代略) 十蔵
 
 
 

脚注

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  1. ^ 長府藩士・小坂土佐九郎の2男。


関連項目

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