三井康浩
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基本情報 | |
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国籍 | 日本の旗 日本 |
出身地 |
島根県 [1] 出雲市 (生まれは滋賀県 [2] ) |
生年月日 | (1961年01月19日) 1961年 1月19日(64歳) |
身長 体重 |
175 cm 76 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 内野手/外野手 |
プロ入り | 1978年 ドラフト外 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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三井 康浩(みつい やすひろ、1961年 1月19日 [1] - )は、日本の元プロ野球選手、球団職員。
略歴
[編集 ]滋賀県で生まれ、中学時代から島根県で過ごす[2] 。出雲西高等学校時代に強打で鳴らし、1978年にドラフト外で読売ジャイアンツに入団(同年、巨人はドラフト会議を欠席)。同期は江川卓(阪神より移籍)、鹿取義隆など[3] 。しかし巨人入団後は伸び悩み、二軍暮らしが続いた。1984年に定期健康診断で腎臓疾患が見つかり、再検査でドクターストップをかけられたため現役を引退[2] 。本人いわく「自覚症状は全くなかった」ため、いきなりの宣告だったという[4] 。
引退後、翌1985年は巨人の二軍マネジャーを務めるが、当時チーフスコアラーだった小松俊広の誘いもあって1年でスコアラーに転じ[4] 、以後、2002年にチーフスコアラーになるなど[1] 22年間に渡り巨人のスコアラーを務める。2008年には査定室長となったほか、翌2009年の2009 ワールド・ベースボール・クラシックに向けた野球日本代表のスタッフ入りし、代表のチーフスコアラーとして日本代表の優勝に貢献した[5] 。
以後、2013年に統括ディレクター、2017年に編成本部参与を歴任し、2018年末に退団[5] 。
退団後の2019年にOffice奏を設立[6] 。主にスコアラー時代の経験を元に講演・著述活動、野球教室での指導等を行っている。
詳細情報
[編集 ]年度別打撃成績
[編集 ]- 一軍公式戦出場なし
背番号
[編集 ]- 65(1979年 - 1984年)
著書
[編集 ]- スッキリわかる 野球スコアのつけ方(成美堂出版、2010年)ISBN 978-4415308654 ※(注記)監修
- ザ・スコアラー(KADOKAWA、2020年)ISBN 978-4040823362 [7]
- もしプロのスコアラーがあなたの野球チームにいたら何をやるか(KADOKAWA、2022年)ISBN 978-4041112847
脚注
[編集 ][脚注の使い方]
- ^ a b c "三井康浩". TURNING POINT. 2022年1月28日閲覧。
- ^ a b c 第五話 江川さんと西本さんは色んな意味で凄かった - デーブ大久保チャンネル
- ^ a b 第六話 スコアラー人生が変わった原辰徳選手からの厳しい言葉。 - デーブ大久保チャンネル
- ^ a b 三井康浩 - slipstream
- ^ "三井康浩 プロフィール". 講演会・セミナーの講師紹介なら講演依頼.com. 2022年1月28日閲覧。
- ^ 読売巨人軍で22年、WBCで世界一「伝説のスコアラー」初著作! - PR TIMES・2020年2月4日
外部リンク
[編集 ]- 三井康浩【公式】 (@8g6PznVN4ZQ1vpU) - X(旧Twitter)
- 三井康浩 (@mti_y.n.s.s) - Instagram
- 三井康浩|合同会社スリップストリーム|slipstream LLC
- Sou Baseball Clinic WBC日本世界一に導いたプロのスコアラー三井康浩が指導する野球教室
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