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ヴォルフガング・マイヤー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴォルフガング・マイヤー
Wolfgang Meyer
生誕 (1954年08月13日) 1954年 8月13日
出身地 ドイツの旗 ドイツ クライルスハイム
死没 (2019年03月17日) 2019年 3月17日(64歳没)
ドイツの旗 ドイツ カールスルーエ
職業 演奏家
担当楽器 クラリネットバセットホルン

ヴォルフガング・マイヤー(Wolfgang Meyer, 1954年 8月13日 - 2019年 3月17日)は、ドイツクラリネット奏者。カールスルーエ音楽大学の教授、学長を務めた。妹のザビーネもまた、クラリネット奏者である[1]

略歴

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1954年、クライルスハイムに生まれる[1] [2] 。1966年から1972年までシュトゥットガルト音楽演劇大学で学んだ後に、1972年から1978年にかけてハノーファー音楽院で学んだ。シュトゥットガルトではオットー・ヘルマンに、ハノーファーではハンス・ダインツァー (ドイツ語版)に師事した[1] [2] [3] 。在学中のマイヤーは、ドイツの若者の為の音楽賞 "Jugend musiziert (ドイツ語版)" の1等賞を1969年、1971年、1973年と受賞した[2] 。また、1974年にはクラーニヒシュタイン音楽賞を受賞し、1975年にはミュンヘン国際音楽コンクールの室内楽部門へ、シランクス五重奏団のメンバーとして出場して優勝を果たしている。また、1976年のドイツ音楽大学コンクールでの最優秀賞、更には1977年のボンでのドイツ音楽コンクールでの最優秀賞を受賞するなど、若い頃から様々な賞を獲得している[2] [3]

室内楽奏者としての分野では、広範囲にわたり活動しピリオド楽器にも取り組んだ[3] 。妹ザビーネ、彼女の夫で義弟にあたるライナー・ヴェーレ (ドイツ語版)と共にクラリネット三重奏団 "Trio di Clarone(トリオ・ディ・クラローネ)" を結成し、ハリオルフ・シュリヒティヒやルディ・スプリング (ドイツ語版)らと共に行動した[1] [2] [4] 。トリオ・ディ・クラローネではクラリネットだけではなくバセットホルンも演奏し、古楽器に光が当てられた演奏は関心を向けられた[3] ソリストとしては現代音楽にも造詣が深く、ティベリウ・オラー (ルーマニア語版)ジャン・フランセ、フーベルト・シュトゥップナー、エディソン・デニソフらの作品の初演に参加した[2] [3] 。1996年以降はニコラウス・アーノンクールが束ねるウィーン・コンツェントゥス・ムジクスと度々共演し、モーツァルトクラリネット協奏曲の録音も共同で行っている[2] [3] 。また、カルミナ四重奏団 (ドイツ語版)モザイク四重奏団イザイ四重奏団 (フランス語版)との共演も頻りに行われており[3] 、数々の録音に携わった[1] 。晩年はジャズミュージシャンとしても活動していた[1]

1979年からカールスルーエ音楽大学で後進の指導に当たり、1989年に教授に昇進、2016年まで教授職を務めた。また、2001年から2007年まで同大学の学長も兼任している[1] [2] [3] 。2019年3月17日、カールスルーエで死去した。64歳没[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h "Klarinettist Wolfgang Meyer gestorben" (German). SWR. (2019年3月18日). オリジナルの2019年3月20日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/mGHgF 2019年3月20日閲覧。 
  2. ^ a b c d e f g h "Wolfgang Meyer" (English). Trio di Clarone.com (2009年10月). 2019年3月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月20日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h "ヴォルフガング・マイヤー(バセット・クラリネット)". トッパンホール. 2019年3月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月20日閲覧。
  4. ^ "Reiner Wehle" (English). Trio di Clarone.com (2009年10月). 2019年3月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月20日閲覧。

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