ヴォルク・アターエフ
基本情報 | |
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本名 |
ヴァジキット・アターエフ (Bazigit Atajev) |
通称 |
戦慄のロシアンウルフ 破壊神 |
国籍 | ロシアの旗 ロシア |
生年月日 | (1979年12月03日) 1979年 12月3日(44歳) |
出身地 | ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦 ダゲスタン共和国 |
所属 |
リングス・ロシア →ロシアン・トップチーム |
身長 | 185cm |
体重 | 100kg |
リーチ | 188cm |
階級 | ヘビー級 |
バックボーン | 散打、コマンドサンボ |
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ヴォルク・アターエフ(Volk Atajev、ロシア語: Бозиги́т Ата́вович Ата́ев、クムク語: Атайланы Бозигит Атайны уланы、1979年 12月3日 - )は、ロシアの男性 総合格闘家。ダゲスタン共和国出身。ロシアン・トップチーム所属。
ヴォルク・ハンの弟子であり、ヴォルク(狼の意)の異名を受け継いだ。
リングの上での恐ろしさとは裏腹に、普段は物静かでおとなしい。その性格故か、または強すぎる故か、一般的なパウンドありの総合格闘技ルールには否定的である。
来歴
[編集 ]幼少の頃から全寮制の国立格闘技学校で散打を学んだ格闘エリート。
リングス・ロシアに所属し、リングスで活躍。強力な打撃は「相手の頭蓋骨を砕いた」「足を骨折させた」等の逸話を残すほどであり、「破壊神」との異名を持つ。2001年には散打世界選手権を全試合KOで優勝。
2001年6月15日、リングスで初来日。メイナード・マルコムと対戦し、左フックで失神KO勝ち。
2001年12月21日、リングスで高阪剛と対戦し、判定勝ち。
2002年7月7日、シュートボクシング「S-cup 2002」において、リングスKOKルールでクリス・ブランコと対戦。ネックロックで一本勝ち。
2002年12月23日、PRIDE初参戦となったPRIDE.24でアリスター・オーフレイムと対戦し、左膝蹴りでKO負け。
2003年11月14日、リトアニア・ブシドーにて、ミンダウガス・クリカウスカスと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。
2005年8月20日に、ニコライ・ズーエフ主催のリングス・エカテリンブルク興行において、ジェファーソン・"タンク"・シウバと対戦し、パウンドによりKO勝利。
2007年4月8日のPRIDE.34にてギルバート・アイブルと対戦予定であったが、内臓疾患により欠場した[1] 。
2008年7月13日、K-1 WORLD GP 2008 IN TAIPEIでK-1デビュー。スーパーファイトでレミー・ボンヤスキーと対戦するも、3RKO負け。
戦績
[編集 ]総合格闘技
[編集 ]総合格闘技 戦績 | ||||||
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17 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
16 勝 | 9 | 6 | 1 | 0 | 0 | 0 |
1 敗 | 1 | 0 | 0 | 0 |
キックボクシング
[編集 ]キックボクシング 戦績 | ||||||
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1 試合 | (T)KO | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 | |
0 勝 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
1 敗 | 1 | 0 | 0 |
脚注
[編集 ]- ^ アターエフ欠場。アイブルの相手は調整中 BoutReview 2007年4月5日
関連項目
[編集 ]外部リンク
[編集 ]- PRIDE 選手データ - Internet Archive
- K-1 選手データ
- バウトレビュー 選手データ
- ヴォルク・アターエフの戦績 - SHERDOG (英語) ウィキデータを編集