ヴィルヘルミーネ・フォン・バーデン
表示
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴィルヘルミーネ・フォン・バーデン Wilhelmine von Baden | |
---|---|
ヘッセン大公妃 | |
在位 | 1830年 4月6日 - 1836年 1月27日 |
出生 |
(1788年09月10日) 1788年 9月10日 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国 バーデン辺境伯領、カールスルーエ |
死去 |
(1836年01月27日) 1836年 1月27日(47歳没) ヘッセン大公国の旗 ヘッセン大公国、ローゼンヘーエ |
結婚 | 1804年 6月19日 カールスルーエ |
配偶者 | ヘッセン大公 ルートヴィヒ2世 |
子女 |
ルートヴィヒ カール エリーザベト アレクサンダー マリー |
家名 | ツェーリンゲン家 |
父親 | カール・ルートヴィヒ・フォン・バーデン |
母親 | アマーリエ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット |
テンプレートを表示 |
ヴィルヘルミーネ・ルイーゼ・フォン・バーデン(ドイツ語: Wilhelmine Luise von Baden, 1788年 9月10日 - 1836年 1月27日)は、ヘッセン大公 ルートヴィヒ2世の妃。
生涯
[編集 ]バーデン大公世子カール・ルートヴィヒとその妃アマーリエ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタットの末娘として、カールスルーエで生まれた。姉にバイエルン王妃カロリーネ、ロシア皇后エリザヴェータ・アレクセーエヴナ(ルイーゼ・マリー・アウグステ)、スウェーデン王妃フリーデリケ、兄にバーデン大公カールらがいる。少女時代に、女帝エカチェリーナ2世がバーデン辺境伯家の姫たちに目をとめたことから、姉妹とともにロシアへ招待された。女帝は姉ルイーゼの方を気に入ったため、姉が女帝の孫息子アレクサンドルと結婚することとなった。
1804年6月、従兄にあたるルートヴィヒ2世と結婚し、7子を生んだ。そのうちエリーザベト以下4人の父親はルートヴィヒ2世ではなく、ヴィルヘルミーネの愛人アウグスト・ルートヴィヒ・フォン・スナルクラン・ド・グランシーだと言われている。
- ルートヴィヒ(1806年 - 1877年) - ヘッセン大公ルートヴィヒ3世
- 男児(1807年) - 夭折
- カール(1809年 - 1877年)
- エリーザベト(1821年 - 1826年)
- 女児(1822年) - 夭折
- アレクサンダー(1823年 - 1888年)
- マリー(1824年 - 1880年) - ロシア皇帝アレクサンドル2世と結婚
ウィキメディア・コモンズには、ヴィルヘルミーネ・フォン・バーデン に関連するカテゴリがあります。