ワルター・ジュスキント
ワルター・ジュスキント | |
---|---|
基本情報 | |
生誕 | (1913年05月01日) 1913年 5月1日 |
出身地 | オーストリア=ハンガリー帝国の旗 オーストリア=ハンガリー帝国 ボヘミアの旗 ボヘミア プラハ |
死没 | (1980年03月25日) 1980年 3月25日(66歳没)アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 バークレー |
学歴 | プラハ国立音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 指揮者 |
ワルター・ジュスキント[1] (Walter Süsskind, 1913年 5月1日 - 1980年 3月25日)は、チェコの指揮者。[2]
経歴
[編集 ]プラハの生まれ。プラハ国立音楽院でスークとハーバに作曲を、カレル・ホフマイスターにピアノを師事した。また、ドイツ音楽アカデミーではジョージ・セルに指揮を教わっている。
1931年にピアニストとしてデビューしたが、1934年にはプラハ・ドイツ歌劇場でセルのアシスタントとして指揮者のキャリアを開始することになった。1938年にプラハ・ドイツ歌劇場が閉鎖されると、ナチスの迫害を嫌ってイギリスへと逃れ、チェコ 三重奏団のピアノ担当として糊口をしのいだ。1941年に指揮活動を再開し、1943年から1945年までカール・ローザ・オペラ・カンパニーの指揮者を務めた。1946年から1952年まではスコットランド管弦楽団の首席指揮者を務め、1953年から2シーズンの間メルボルン交響楽団の指揮者を務めていた。1956年から1965年まではトロント交響楽団の首席指揮者となり、この間にカナダでユース・オーケストラを結成したり、アスペン音楽祭の監督を務めたりもしている。1968年からはセントルイス交響楽団の音楽監督に就任し、1975年まで務めた。最終ポストは、1978年から没年にかけてのシンシナティ交響楽団の首席指揮者である。
脚注
[編集 ]ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団首席指揮者・音楽監督(1946-1952) | |
---|---|
|
トロント交響楽団首席指揮者(1956-1965) | |
---|---|
ルイジ・フォン・クニッツ1922-1931 / アーネスト・マクミラン1931-1956 / ワルター・ジュスキント1956-1965 / 小澤征爾1965-1969 / カレル・アンチェル1969-1973 / アンドルー・デイヴィス1975-1988 / ギュンター・ヘルビヒ1988-1994 / ユッカ=ペッカ・サラステ1994-2001 / ピーター・ウンジャン2001- |
シンシナティ交響楽団首席指揮者(1978-1980) | |
---|---|
|
この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目 です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。