ロベルト・バローニオ
ロベルト・バローニオ
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ラツィオ時代(2009年) | |||
名前 | |||
ラテン文字 | Roberto Baronio | ||
基本情報 | |||
国籍 | イタリアの旗 イタリア | ||
生年月日 | (1977年12月11日) 1977年 12月11日(46歳) | ||
出身地 | マネルビオ | ||
身長 | 179cm | ||
体重 | 72kg | ||
選手情報 | |||
ポジション | MF (CMF) | ||
利き足 | 右足 | ||
ユース | |||
イタリアの旗 ヴォルンタス | |||
イタリアの旗 ブレシア | |||
クラブ1 | |||
年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1994-1996 | イタリアの旗 ブレシア | 33 | (1) |
1996-2010 | イタリアの旗 ラツィオ | 80 | (0) |
1997-1998 | →イタリアの旗 ヴィチェンツァ (loan) | 13 | (0) |
1999-2000 | →イタリアの旗 レッジーナ (loan) | 31 | (3) |
2001-2002 | →イタリアの旗 フィオレンティーナ (loan) | 21 | (1) |
2002-2003 | →イタリアの旗 ペルージャ (loan) | 11 | (0) |
2003-2005 | →イタリアの旗 キエーヴォ (loan) | 50 | (1) |
2006 | →イタリアの旗 ウディネーゼ (loan) | 10 | (0) |
2008-2009 | →イタリアの旗 ブレシア (loan) | 29 | (3) |
2010-2011 | イタリアの旗 アトレティコ・ローマ (英語版) | 17 | (1) |
1994-2011 | 通算 | 295 | (10) |
代表歴2 | |||
1995 | イタリアの旗 イタリア U-17 | 7 | (1) |
1995-1996 | イタリアの旗 イタリア U-18 | 7 | (1) |
1995-2000 | イタリアの旗 イタリア U-21 | 24 | (4) |
1997 | イタリア U-23 | 4 | (1) |
2000 | イタリアの旗 イタリア オリンピック | 3 | (1) |
2005 | イタリアの旗 イタリア | 1 | (0) |
監督歴 | |||
2012-2015 | イタリアの旗 フトボルクルブ | ||
2015-2016 | イタリアの旗 イタリア U-18 | ||
2015-2016 | イタリアの旗 イタリア U-19(アシスタント) | ||
2016-2017 | イタリアの旗 イタリア U-19 | ||
2017-2018 | イタリアの旗 ブレシア U-20 | ||
2018- | イタリアの旗 ナポリ U-20 | ||
1. 国内リーグ戦に限る。2019年1月17日現在。 2. 2019年1月17日現在。 ■しかくテンプレート(■しかくノート ■しかく解説)■しかくサッカー選手pj |
ロベルト・バローニオ(Roberto Baronio, 1977年 12月11日 - )は、イタリア・マネルビオ出身の元同国代表 サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはMF(セントラルミッドフィールダー)。
経歴
[編集 ]ポジションは中盤で運動量は少ないながらもパス精度の高さが特徴で、若くから将来を嘱望されていた[1] 。ブレシア・カルチョにてプロデビューを飾り、その才能に注目したSSラツィオへ移籍。しかし、当時の監督ズデネク・ゼーマンに認められず出場機会を失い、レンタル移籍を繰り返した。
1999-00シーズンはローン先のレッジーナ・カルチョにてアンドレア・ピルロと共に活躍。2001-02シーズンはACFフィオレンティーナで、翌シーズンはペルージャ・カルチョでプレーした。2003年から2005年まではACキエーヴォ・ヴェローナにてクラブの躍進を支えた。この活躍を評価され、イタリア代表デビューも果たしている。
2005年にラツィオに復帰したが出場機会に恵まれず、ウディネーゼ・カルチョ、ブレシアにレンタル移籍。2009-10シーズン、クリスティアン・レデスマがクラブ首脳陣と対立して出場を禁止されたこともあり、先発出場の機会を増やした。
2010-11シーズンはレガ・プロのアトレティコ・ローマFCでプレーした[2] 。
代表歴
[編集 ]2005年6月11日にイーストラザフォードで行われた親善試合・エクアドル戦にて、後半よりダリオ・ダイネッリに代わりピッチに立ち代表デビューとなった[3] 。
指導歴
[編集 ]イタリア代表の各世代において指導者としての経験を積む。2017-18シーズンは古巣ブレシア・カルチョのプリマヴェーラで指揮を執った[4] 。翌シーズンよりSSCナポリのプリマヴェーラに招聘された[5] 。
タイトル
[編集 ]クラブ
[編集 ]- ブレシア
- トルネオ・ディ・ヴィアレッジョ : 1996
- ラツィオ
- スーペルコッパ・イタリアーナ : 1998, 2000, 2009
- UEFAカップウィナーズカップ : 1998-99
代表
[編集 ]- イタリア U-21
- イタリア U-23
- 地中海競技大会 : 1997
個人
[編集 ]- オスカル・デル・カルチョ : 2000(若手選手部門)
脚注
[編集 ]- ^ "スポニチワールドサッカープラス ロベルト・バローニオ 安住の地を求めて". スポニチワールドサッカープラス. 2009年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月17日閲覧。
- ^ "ESCLUSIVA TMW - Atletico Roma, Baronio: "C'è un progetto serio"". TUTTOmercatoWEB.com (2010年9月14日). 2019年1月17日閲覧。
- ^ "Ecuador v Italy". 11v11 match report (2011年6月11日). 2019年1月17日閲覧。
- ^ "Brescia, UFFICIALE: addio a Baronio". Calciomercato.com (2018年5月10日). 2019年1月17日閲覧。
- ^ "[https://sport.ilmattino.it/sscnapoli/napoli_baronio_la_primavera_carico_nuova_esperienza-3884471.html Napoli, Baronio per la Primavera «Carico per questa esperienza»]". Il Mattino.it (2018年7月30日). 2019年1月17日閲覧。
外部リンク
[編集 ]- Roberto Baronio (@roberto_baronio_) - Instagram
- Roberto Baronio - player profile Transfermarkt
- Roberto Baronio - manager profile Transfermarkt
最優秀選手賞 | |
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イタリア人選手賞 | |
外国人選手賞 | |
若手選手賞 | |
ゴールキーパー賞 | |
ディフェンダー賞 | |
監督賞 | |
審判賞 |
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