リー・カーズリー
リー・カーズリ-
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2007年、エヴァートンFCでのカーズリー | |||
名前 | |||
本名 | Lee Kevin Carsley | ||
カタカナ | リー・ケヴィン・カーズリー | ||
ラテン文字 | Lee Carsley | ||
基本情報 | |||
国籍 |
アイルランドの旗 アイルランド イングランドの旗 イングランド | ||
生年月日 | (1974年02月28日) 1974年 2月28日(50歳) | ||
出身地 | イングランドの旗 バーミンガム | ||
身長 | 180cm | ||
体重 | 76kg | ||
選手情報 | |||
ポジション | DH | ||
利き足 | 右足 | ||
クラブ1 | |||
年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1992-1999 | イングランドの旗 ダービー・カウンティ | 138 | (5) |
1999-2000 | イングランドの旗 ブラックバーン・ローヴァーズ | 47 | (11) |
2000-2002 | イングランドの旗 コヴェントリー・シティ | 47 | (4) |
2002-2008 | イングランドの旗 エヴァートン | 166 | (11) |
2008-2010 | イングランドの旗 バーミンガム・シティ | 48 | (2) |
2010-2011 | イングランドの旗 コヴェントリー・シティ | 25 | (0) |
1992-2011 | 合計 | 471 | (33) |
代表歴 | |||
1997-2008 | アイルランドの旗 アイルランド | 39 | (0) |
監督歴 | |||
2011-2012 | イングランドの旗 コヴェントリー・シティ (U-18) | ||
2012 | イングランドの旗 コヴェントリー・シティ (助監督) | ||
2012 | イングランドの旗 コヴェントリー・シティ (暫定) | ||
2013 | イングランドの旗 シェフィールド・ユナイテッド (技術助監督) | ||
2015 | イングランドの旗 ブレントフォード | ||
2016-2017 | イングランドの旗 マンチェスター・シティ U-18 | ||
2017 | イングランドの旗 バーミンガム・シティ U-23 | ||
2017 | イングランドの旗 バーミンガム・シティ (暫定) | ||
2019-2020 | イングランドの旗 イングランド U-20 | ||
2021- | イングランドの旗 イングランド U-21 | ||
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リー・ケヴィン・カーズリー(Lee Kevin Carsley, 1974年 2月28日 - )は、イングランド・バーミンガム出身の元サッカー選手、元アイルランド代表。現サッカー指導者。現役時代のポジションは守備的ミッドフィルダー。カースリーとも表記される。
イングランドで生まれたカーズリーは、ダービー・カウンティFC、ブラックバーン・ローヴァーズFC、コヴェントリー・シティFC、エヴァートンFC、バーミンガム・シティFCと在籍したクラブは全てイングランドだったが、代表ではアイルランド代表でプレーした。
経歴
[編集 ]クラブ
[編集 ]ダービー、コヴェントリー、ブラックバーン
[編集 ]1992年からダービー・カウンティFCでキャリアを始め、公式戦150試合に出場する。1998-99シーズンは、開幕前の5月にエヴァートンFCからクレイグ・ショート(en)とのトレード[1] 、後半戦にもエヴァートンとアストン・ヴィラFCからのオファー[2] をそれぞれ拒否して残留を選択しているが、1999年3月に移籍金337万5000ポンドでブラックバーン・ローヴァーズFCと4年契約を締結した[2] 。この移籍は、ブラックバーンが降格の危機にあったことで驚きを持って伝えられており、金銭的な理由と揶揄されたが、カーズリーは真正面から否定し、「ダービーは確かに欧州カップ戦出場を狙える位置にあったが、ブラックバーンは数年前にプレミアリーグ優勝を果たしたように本来は上を狙えるビッグクラブであり、現在のリーグの順位は考慮していない」と語った[2] 。しかし、ブライアン・キッド(en)監督によって12月から1800万ポンドも掛けて大型補強されたチームを救うことが出来ず、フットボールリーグ・チャンピオンシップへと降格している。
2部で過ごすこととなった1999-2000シーズンは、主将を務めてチーム最多の得点を挙げる[3] 奮闘を見せたものの、チームは11位で昇格を逃しており、翌2000-01シーズンになるとグレアム・スーネス監督の構想外となったため、2000年12月にガリー・マカリスターの後釜として移籍金250万ポンドでプレミアリーグのコヴェントリー・シティFCと4年半契約を締結した[3] 。2000年2月には、移籍金190万ポンドでエヴァートンFCと4年半契約を締結した[4] 。
エヴァートン
[編集 ]エヴァートンFCでは、加入から2季はなかなか定位置を掴めず、先行きに不安があったものの、2004-05シーズンには、4-1-4-1フォーメーションの中盤中央の守備的な位置を任されて定期的に起用され[5] 、また、外見的に似通っていたトーマス・グラヴェセンとコンビを組むと、カーズリーの厳しいタックルで相手の攻撃の芽を摘むプレーに、グラヴェセンの自由な攻撃参加のプレーによってチームの中盤を司っており[6] 、後々になっても中盤で良いコンビが現れた際には「新たなカーズリーとグラヴェセン」と評される[6] 程、アンカー、所謂マケレレロールとしての確固たる地位を築いた。
2004年12月には、200回目となるリヴァプールFCとのマージーサイド・ダービー(1-0)で決勝点を挙げ、チームを一時的にではあるが2位まで浮上させ[7] 、最終的にプレミアリーグ創設以降でクラブ史上最高位となる4位にしてUEFAチャンピオンズリーグ 2005-06予選3回戦の出場権獲得に貢献した[8] 。
同2004-05シーズン最終節のボルトン・ワンダラーズFC戦で試合残り4分に膝を捻じり、担架に乗せられて後味悪い終わり方をした[9] カーズリーは、プレシーズンで練習を再開するも、2005-06シーズン開幕が直前に迫った親善試合でのフェネルバフチェSK戦で再び負傷したため、復帰するまでに5ヶ月を要しており[10] [11] 、2006年4月のチャールトン・アスレティックFC戦まで待たなくてはならなかった。次のトッテナム・ホットスパーFC戦とチェルシーFC戦で共に先発出場をしているが、チェルシー戦でのディディエ・ドログバに対してのタックルでレッドカードによる退場処分を受け[12] 、3試合の出場停止となったためにシーズン終了となった。
2007年11月3日のバーミンガム・シティFC戦では、1-1の引き分けで試合終了に思われたところで93分に決勝点を挙げてチームを勝利に導いており、その1分後にジェームズ・ヴォーンが追加点を挙げて3-1とした[13] 。
バーミンガム・シティ
[編集 ]2007-08シーズン終了後、エヴァートンとの契約が満了となるに伴って契約更新を提案されたが、新たな挑戦を求めるために拒否し、2008年6月に故郷にあるチャンピオンシップのバーミンガム・シティFCと2年契約を締結した[14] 。バーミンガムでは、主将のダミアン・ジョンソン (英語版)が数ヶ月の負傷離脱だったために主将として2008-09シーズンをスタートさせ[15] 、2位でのプレミアリーグ昇格に貢献。公式戦44試合(リーグ戦41試合)2得点を記録し、その活躍からチームの最優秀選手に選出された[16] 。
昇格初年度の2009-10シーズンは、リー・ボウヤーとバリー・ファーガソンの中盤のコンビを控えとして支える[17] 中、2009年11月のアンフィールドでのリヴァプールFC戦でダビド・ヌゴグへのタックルがペナルティーキックを取られてスティーヴン・ジェラードに決められると、試合後にヌゴグに対してPKを貰うための「不正で恥ずかしい行為」とダイブを非難した[18] [19] 。
その後、2010年1月のFAカップでのノッティンガム・フォレストFC戦で足首に全治6週間の負傷をする[17] 等、2009年10月のアーセナル戦以降負傷に苦しんでいた影響から先発出場僅か3試合にとどまった結果、4月に同シーズン終了後にバーミンガム・シティを去ることが判明した[20] 。
コヴェントリー・シティ
[編集 ]2010年7月23日、1年契約で古巣のコヴェントリー・シティFCに8年振りに復帰[21] し、アイディ・ブースロイド (英語版)監督によって主将に任命される[22] 。同2010-11シーズン終了後に契約満了で退団するに伴い、37歳で現役引退を決断した[23] 。
代表
[編集 ]イギリスのバーミンガムに生まれながらも、祖母がコーク県出身のためにアイルランド代表でプレーする資格があり[24] 、1995年10月のU-21ポルトガル戦でU-21代表、それから2年後のルーマニア戦でA代表初出場をミック・マッカーシー監督の下で飾った[25] 。また、マッカーシー監督の下で2002 FIFAワールドカップの登録メンバーに選出され、チームはベスト16に進出しているが、自身はグループリーグ最終戦でのサウジアラビア戦にマーク・キンセラと代わって試合残り1分に出場したのみにとどまった[26] 。
2004年4月、クラブと家庭の双方に集中するために代表引退を表明する[27] も、2005年9月には代表復帰を希望しており[28] 、すると、敵地でのキプロス戦(2-5)は未出場だったが、2006年10月のランズダウン・ロードでのチェコ戦で復帰を果たし、安定したプレーで依然として国際レベルにあることを証明した[29] 。
アイルランド代表としては、1997年から2008年のブラジル戦までの39試合を記録した[30] 。
監督
[編集 ]2011年7月にコヴェントリー・シティFCU-18の監督に就任する[23] と、プレミアアカデミーリーグでチームを準優勝へ導く手腕が評価され、2012年には新設されたリザーブチームの監督と共にトップチームの助監督に昇格した[31] 。また、実戦を指揮することはなかったが、2013年2月に突如辞任したマーク・ロビンス(en)監督の後任として暫定ながらも就任した[32] 。
2013年7月からはコヴェントリー・シティを去り、エヴァートンFC時代の同僚デヴィッド・ウィアー監督率いるシェフィールド・ユナイテッドFCの技術助監督に就任する[33] 。しかし、チームは開幕戦でのノッツ・カウンティFC戦(1-2)以後、公式戦で12試合未勝利となり、10月11日にウィアー監督と共に解任された[34] 。
私生活
[編集 ]妻ルイザと3人の子供と共にソリフルで暮らす[35] 。ダウン症候群の次男が誕生以降は、支援団体に積極的に関わりを持ち、パトロンを務めるようになった[8] 。
脚注
[編集 ]- ^ "Football: Everton propose Carsley swap deal"
- ^ a b c "Carsley steps down for Kidd"
- ^ a b "Persistent Coventry land Carsley"
- ^ "Carsley joins Everton"
- ^ "Why Everton must keep Eidur down at Bridge"
- ^ a b "Hail The New Carsley & Gravesen"
- ^ "Everton 1-0 Liverpool"
- ^ a b "Lee Carsley: 'All of a sudden you have something that rocks you'"
- ^ "Bolton 3-2 Everton" BBC Sport
- ^ "Everton hit by fresh Carsley blow"
- ^ "Carsley setback adds to Everton's woes"
- ^ "Chelsea 3 Everton 0: Mourinho's men relish chance to retain title in front of United"
- ^ "Vintage Carsley drives Bruce to distraction"
- ^ "Carsley passes Birmingham medical"
- ^ "Jonty to have op"
- ^ "Gala awards night celebrates the true Blues"
- ^ a b "Birmingham's Lee Carsley suffers ankle injury blow"
- ^ "Birmingham angry at 'cheat' Ngog"
- ^ "David Ngog's 'embarrassing case of cheating' gets Liverpool a draw"
- ^ "Lee Carsley set to leave Birmingham City"
- ^ "Coventry City sign midfielder Lee Carsley"
- ^ "Lee Carsley appointed new Coventry City captain"
- ^ a b "Coventry City appoint Lee Carsley as Under-18 coach"
- ^ "Where are they now?" BBC Sport
- ^ "Carsley and Kelly ready to give it a lash"
- ^ "Ireland stroll into last 16"
- ^ "Football: Cars stalls on Ireland" thefreelibrary.com
- ^ "Carsley eyes Irish return"
- ^ "Carsley delighted to be back in the fold"
- ^ "Carsley: my Irish career is finished"
- ^ "Lee Carsley promoted to Andy Thorn's Coventry City backroom staff"
- ^ "Irish football’s favourite baldy, Lee Carsley, appointed interim Coventry boss"
- ^ "Lee Carsley leaves Coventry City for Sheffield United"
- ^ "Former Ireland midfielder Lee Carsley gets axed by Blades"
- ^ "It is a shock and quite often people say that in a way you're grieving for a child that you should have had" thefreelibrary.com
外部リンク
[編集 ]- リー・カーズリー - Soccerbase
- リー・カーズリー - National-Football-Teams.com
- リー・カーズリー - Soccerwayによる個人成績
- transfermarkt
- footballzz