ラバルム
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ラバルム(Labarum )とは、ローマ帝国正規軍のウェクシルム(軍旗)の一つ。コンスタンティヌス1世が用いた[2] [3] 。
ギリシア文字のΧ・Ρを重ね合わせたモノグラム(組文字)☧ [注 1] を旗印としたことが特徴[注 2] 。この☧は、今日でもイエス・キリストの象徴となっている。
ミルウィウス橋の戦い
[編集 ]312年 10月28日、コンスタンティヌス1世はローマ近郊のミルウィウス橋で簒奪皇帝マクセンティウスと戦い(ミルウィウス橋の戦い)、勝利を収めてローマに入城、西方の正帝に即位した。 この戦闘では、コンスタンティヌスは十字架を旗印としたが、それには幾つかの説がある。
- この戦闘の前、コンスタンティヌスは空に十字架(または☧ともいわれる)と"Ἐν τούτῳ νίκα"[注 3] (「汝、この徴にて勝利せよ (ギリシア語版、ラテン語版、英語版)」[注 4] の意。)の文字を見たという。
- 前日のコンスタンティヌス1世の夢に、☧を円形で囲んだモノグラムが現れ、どこからか"Ἐν τούτῳ νίκα"という天の声が聞こえたという。
ラバルムとキリスト教
[編集 ]皇帝に即位したコンスタンティヌスは、正規軍を改編し、円形中にキリストのギリシア語綴り"Χριστός "の最初の2文字から、ギリシア文字のΧ(カイ/キー)およびΡ(ロー)をかたどった旗印を定めた。この☧をあしらったウェクシルムは「ラバルム」とよばれる。同じ形のラテン文字に置き換えたものとする説もある。
コンスタンティヌスがキリスト教を公認したことは有名であるが、実際には彼自身はローマの伝統である多神教における代表者の座を維持しつづけた。一般にこのことは「コンスタンティヌスがキリスト教徒ではなかった」という誤解を生み出しており、研究家達にも、ラバルムとキリスト教を切り離して考える者が多く見られる。
脚注
[編集 ]注釈
[編集 ]脚注
[編集 ]- ^ A. Macgeorge, Flags, Glasgow (1881): The labarum of the emperors [...] frequently bore upon it a representation of the emperor, sometimes by himself and sometimes accompanied by the heads of members of his family."
- ^ a b c リーダーズ英和辞典(1999年)
- ^ a b ジーニアス英和大辞典(2001年)
- ^ 『ラバルム』 - コトバンク
関連項目
[編集 ]ウィキメディア・コモンズには、ラバルム に関連するカテゴリがあります。
- ミルティアデス (ローマ教皇)
- フェニックス(PHOENIX)
- 鷲 (紋章)
- 髑髏と骨