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ミゲル・カント

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はカント第二姓(母方の)はソリスです。
ミゲル・カント
基本情報
本名 ミゲル・アンヘル・カント・ソリス
Miguel Ángel Canto Solís
通称 El Maestro
階級 フライ級
国籍 メキシコの旗 メキシコ
誕生日 (1948年01月30日) 1948年 1月30日(76歳)
出身地 ユカタン州 メリダ
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 74
勝ち 61
KO勝ち 15
敗け 9
引き分け 4
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ミゲル・カント(Miguel Canto、1948年 1月30日 - )は、メキシコ男性 プロボクサー。元WBC世界フライ級王者。マエストロ(Maestro:指揮者)の異名をもつ。

来歴

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1969年2月5日、プロデビュー(3回TKO負け)。

1970年4月29日、ユカタン州 フライ級王座に挑戦するが、10回判定で引き分け王座奪取ならず。

1970年5月27日、ユカタン州フライ級王座に再挑戦し、12回判定勝ち。王座獲得に成功。その後、1度の防衛に成功。

1972年1月22日、メキシコ・フライ級王座決定戦に出場し、12回判定勝ち。王座獲得に成功し、その後3度の防衛を果たす。

1973年8月4日、メキシコ王座在位のまま40戦目で世界初挑戦。ベツリオ・ゴンザレス(ベネズエラ)と空位のWBC世界フライ級王座を争うも、15回判定負け。王座獲得ならず。

その後、メキシコ王座の防衛回数を5に伸ばす。

1975年1月8日、世界再挑戦。前年10月にゴンザレスを降してWBC世界フライ級王者に輝いた小熊正二に挑み、15回判定勝ち。47戦目にして念願の世界王者に輝く。その後、世界初挑戦で敗れたゴンザレス、元WBA世界フライ級王者花形進、前王者小熊等の挑戦を退け、世界フライ級史上最多(当時)となる14度の防衛に成功。

1979年3月18日、15度目の防衛戦。敵地で朴賛希(韓国)と対戦し、15回判定負け。4年あまり保持してきた王座を手放した。9月9日、雪辱・世界王座奪回を懸け朴と再戦するが、15回判定で引き分け。王座返り咲きはならなかった。

その後、元WBC世界ジュニアフライ級(現:ライトフライ級)王者金性俊(韓国)と対戦し、10回判定勝ち。後のWBC世界フライ級王者ガブリエル・ベルナル(メキシコ)とは2度戦い、1勝1敗。しかし、その後は3戦連続KO負けを喫し、1982年に現役を引退した。

ミゲル・カントのトレーナー、ヘスス・リベロはゴールデンボーイオスカー・デ・ラ・ホーヤのトレーナーを務めたことでも知られる。その期間はオリンピック金メダル後のプロ入りからパーネル・ウィテカー戦後まで。

獲得タイトル

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関連項目

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外部リンク

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前王者
小熊正二 WBC世界フライ級王者

1975年1月8日 - 1979年3月18日

次王者
朴賛希

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