ポール・ポッツ
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ポール・ポッツ | |
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イギリス、パビリオンシアター・ライルでのステージ(2008年) | |
基本情報 | |
生誕 | (1970年10月13日) 1970年 10月13日(54歳) |
出身地 | イングランドの旗 イングランド・ブリストル |
活動期間 | 2007年- |
レーベル | Sony BMG, Syco |
公式サイト | Paul Potts Official Website |
ポール・ポッツ(Paul Potts、1970年 10月13日 - )はイギリスのテノール歌手。
経歴
[編集 ]イングランド西部の港湾都市ブリストル出身。10歳から地元の教会で聖歌隊として歌い始める。生い立ちが恵まれず、幼少期は周囲からいじめられ続けていたが、「歌っている時だけは唯一、自分に自信が持てた」と後のインタビューで語っている。
1986年、三大テノールの一人であるオペラ歌手のホセ・カレーラスの声と出会う。彼の美しい歌声に魅了され、「いつか彼のようになり満員のオペラハウスで歌いたい」という夢を抱いた。しかし、容姿に強いコンプレックスを持っていたポッツは自信が持てず、その夢を一時断念する。
セントマーク&セントジョン大学では人文学を専攻し、1993年に優等学位を得て卒業した。大学卒業後はスーパーマーケットに就職。この間に自由民主党のブリストル市議員(1996年 - 2003年)も務めた(ただし、イギリスの地方部の市議会議員は無給である)。プロの道は断念したものの、その後も地元のアマチュアのオペラ劇団でオペラを学び、ボイストレーニングを続けていた。
1999年、英国ITVの番組『Barrymore's My Kind of Music』に出場し、賞金8000ポンドを獲得。その賞金を充ててイタリアに留学し[1] 、オペラを学んだ。
1999年から2003年にかけて、彼はアマチュアのオペラ劇団(バースにあるバース・オペラ )やアマチュアのオペラ・プロダクション(ロンドンを拠点にするSouthgate Opera Company)に参加し、オペラ活動を続けた。
2001年2月、インターネットのチャットルームでジュリー=アンという女性と知り合い、2年間の交際を経て結婚。結婚式では彼女に『カヴァティーナ』(映画『ディア・ハンター』の主題曲)の歌唱を捧げた[1] 。
2003年、急性盲腸炎の手術を受けたところ、副腎に悪性の腫瘍があることが判明[1] 。腫瘍の切除手術を受けることになるが、医師の強い反対を押し切りオペラを歌い続けていた。
さらに退院後には、自転車で職場へ向かう途中に交通事故に遭い鎖骨を骨折。むち打ち症にも悩まされた。一命は取り留めたものの、長期の入院生活を余儀なくされ仕事を失う。さらに、退院すると莫大な治療費の請求が来たため、家族にこれ以上の負担はかけられないと歌のレッスンを辞め、所属していたアマチュアのオペラ劇団も退団した。
その後、生活のためにヨーロッパ有数の携帯電話の販売店であるCarphone Warehouseのセールスマンとなる。
歌からは長らく遠ざかっていたが、2007年に妻の後押しもあり、この年から放映が開始されたオーディション番組『ブリテンズ・ゴット・タレント』へ出場を決意。これで駄目なら歌は完全に諦める覚悟で臨んだという。
ブリテンズ・ゴット・タレント
[編集 ]2007年1月にオーディション、同年6月に準決勝および決勝のTV放映が行われた。オーディションで「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」を歌って審査員から絶賛を受け、早い段階から番組の優勝候補だった。最終的には下馬評通り優勝を果たし、同番組の辛口審査員として知られるサイモン・コーウェルに認められ、念願のオペラ歌手としてのデビューを果たす。この時、後に歌手デビューを果たすコニー・タルボット(当時6歳)も決勝へ進出しており、コニーを破っての優勝であった。
彼の運命を変えるきっかけとなった番組「ブリテンズ・ゴット・タレント」の模様は、YouTubeを通じて広く配信され、話題を呼んだ。その後、サッカー開会式での国歌斉唱など様々な場面でその歌唱を披露している。
デビュー&ツアー
[編集 ]念願のレコード・デビューのチャンスをつかみ、デビュー作となるアルバム「ワン・チャンス」(BMG JAPAN)をリリース。本作は、2007年7月23日付で全英初登場1位、3週間連続で1位を記録し、全世界で300万枚以上ものセールスを達成した。携帯電話販売会社に在職したまま長期休暇を取り、歌手としてツアー活動をしていたが、2008年3月に正式に退職した。
イギリスの首相ゴードン・ブラウンから官邸に招待されたり、エリザベス2世から直々に賞賛の辞を受けたりするなど数々の栄誉を得た。その模様は彼のドキュメンタリー番組で放映された[2] 。
2008年1月に全英ツアー、3月に北米ツアー、そして4月のニュージーランド/オーストラリア公演のあと、2008年4月29日には世界ツアーで来日しコンサートを開き、二日間の公演は満席となった。
メディア
[編集 ]初回2007年6月9日、セミファイナル6月14日、 最終6月17日の『ブリテンズ・ゴット・タレント』の放映後、各メディアから注目を集める。
彼がジュリー=アンと出会い、結婚するまでのエピソードは『奇跡体験!アンビリバボー』(フジテレビで2008年6月5日に放送)や、『誰も知らない泣ける歌』(日本テレビで2009年1月13日に放送)といった日本のテレビ番組でも放送された。2008年秋に放送された龍角散のCMは、「誰も寝てはならぬ」を歌う彼と、その経歴に関する字幕が映し出されるものになっている。
2009年には、ドラマ『善徳女王』の挿入歌「Passo Dopo Passo」を歌った。
彼の半生は再び『アンビリバボー』年末生放送特番(フジテレビで2009年12月31日放送)で紹介され、スタジオにて「メモリー」(キャッツの楽曲)をイタリア語で、さらに合唱隊をバックに「第九」を披露する。
その後
[編集 ]パラマウント・ピクチャーズの元でポッツの半生を描いた映画の制作が決まったが、2010年4月、映画化が中止となったことが明らかとなった[3] 。さらに同年8月、サイモン・コーウェルのレコードレーベル「Syco」から契約解除されたと報じられた[4] [5] 。
2012年6月、ワインスタイン・カンパニーの企画で進行中のポッツの伝記映画について、ジェームズ・コーデン主演で正式に公開が決まったことが明らかになった[6] 。同作は、日本では『ワン チャンス』というタイトルで2014年3月21日に公開された。
アルバム
[編集 ]ワン・チャンス(2007年11月21日)
[編集 ]CD1
- 誰も寝てはならぬ(Nessun Dorma)
- タイム・トゥ・セイ・グッバイ(Con te partirò)
- アマポーラ
- エヴリバディ・ハーツ (英語版)(Ognuno Soffre)
- カルーソー (英語版)
- ネッラ・ファンタジア
- ユー・レイズ・ミー・アップ(Por Ti Sere)
- マイ・ウェイ(A Mi Manera)
- カヴァティーナ (英語版)(映画『ディア・ハンター』テーマ曲)
- ミュージック・オブ・ザ・ナイト (英語版)(ミュージカル『オペラ座の怪人』より)
CD2
パッシオーネ〜燃ゆる想い(2009年6月3日)
[編集 ]- 愛は面影の中に(La Prima Volta)
- あなたがいてくれたら (英語版)(Sei Con Me、ヘイリー・ウェステンラとのデュエット)
- ロミオとジュリエット 愛のテーマ(Un Giorno Per Noi、映画『ロミオとジュリエット』より)
- イル・カント(Il Canto)
- 青い影(センツァ・ルーチェ、Senza Luce)
- ピアノ(Piano、ミュージカル「キャッツ』の「メモリー」)
- MAMA(Mamma)
- トリステス(Tristesse)
- なんて美しい愛(ベッラモーレ、Bellamore、オリジナル曲)
- 星は光りぬ(E lucevan le stelle、オペラ『トスカ』より)
- グラナダ (英語版)(Granada)
- 誰も寝てはならぬ(Nessun dorma、オペラ『トゥーランドット』より)
- アメイジング・グレイス(デラックスエディションのみ収録)
ニュー・シネマ・パラダイス〜ベスト・ムービー・ソングス(2010年9月22日)
[編集 ]- ムーン・リヴァー(映画『ティファニーで朝食を』)
- ニュー・シネマ・パラダイス(映画『ニュー・シネマ・パラダイス』)
- ゴッドファーザー愛のテーマ(映画『ゴッドファーザー』)
- 禁じられた色彩 (英語版)(映画『戦場のメリークリスマス』)
- マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン(映画『タイタニック』)
- サムホエア・マイ・ラヴ(ララのテーマ) (英語版)(映画『ドクトル・ジバゴ』)
- 愛と青春の旅だち (英語版)(映画『愛と青春の旅だち』)
- グラディアトーレ(映画『グラディエーター』)
- ある愛の詩(映画『ある愛の詩』)
- マリア (英語版)(映画『ウエスト・サイド物語』)
- この素晴らしき世界(映画『グッドモーニング, ベトナム』)
- ジェルソミーナ(映画『道』)※(注記)日本盤ボーナス・トラック
- リスト:「ファウスト交響曲」より第3楽章「メフィストフェレス」から「神秘の合唱」(映画『のだめカンタービレ 最終楽章後編』)※(注記)日本盤ボーナス・トラック
誰も寝てはならぬ〜グレイテスト・ヒッツ(2014年3月5日)
[編集 ]- 誰も寝てはならぬ
- タイム・トゥ・セイ・グッバイ
- 愛は面影の中に
- カルーソー
- エヴリバディ・ハーツ
- アヴェ・マリア
- ピアノ(メモリー)
- ゴッドファーザー愛のテーマ
- ロミオとジュリエット 愛のテーマ
- 青い影(センツァ・ルーチェ)
- マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン
- ユー・レイズ・ミー・アップ
- グラディアトーレ
- カヴァティーナ
- オー・ホーリー・ナイト
- 牧人ひつじを
出演
[編集 ]テレビ
[編集 ]- 情報プレゼンター とくダネ! (2009年6月8日)
- スパイスTV どーも☆キニナル! (2009年6月10日)
- 奇跡体験!アンビリバボー (2009年6月25日)
テレビCM
[編集 ]- 龍角散「龍角散ダイレクトスティックタイプ」(2008年)
式典
[編集 ]- オリバー・カーン引退試合セレモニー(2008年9月2日)
脚注
[編集 ]- ^ a b c Anna Pukas (2007年7月9日). "BRITAIN'S GOT TALENT WINNER PAUL POTTS" (英語). デイリー・エクスプレス. 2009年7月25日閲覧。
- ^ Paul Potts : By Royal Command - YouTube
- ^ "Paul Potts movie scrapped" (英語). MSN UK . (2010年4月1日). http://movies.uk.msn.com/news/articles.aspx?cp-documentid=152868275 2010年8月21日閲覧。
- ^ "Axe for Potts" (英語). ニュース・オブ・ザ・ワールド . (2010年8月1日). オリジナルの2010年9月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100919084006/http://www.newsoftheworld.co.uk/showbiz/895250/Axe-for-Potts-Simon-Cowell-has-dropped-Britains-Got-Talent-opera-sensation-Paul-Potts.html 2010年8月21日閲覧。
- ^ "Paul Potts counters Cowell split snub" (英語). BBC Wales . (2010年8月4日). オリジナルの2011年1月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110123150911/http://www.bbc.co.uk/blogs/walesmusic/2010/08/paul-potts-simon-cowell-syco-split.shtml 2010年8月21日閲覧。
- ^ "人気テノール歌手となったポール・ポッツの人生を描いた伝記映画の主演が決定!". シネマトゥデイ. (2012年6月24日). https://www.cinematoday.jp/news/N0043247 2012年12月25日閲覧。
関連項目
[編集 ]外部リンク
[編集 ]- Paul Potts Information [リンク切れ ] (BMG JAPAN 公式サイト)
- Paul Potts (公式サイト)
- ポール・ポッツ - Myspace
- Paul Potts at Sony BMG
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