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ヘスス・ロハス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヘスス・ロハス
基本情報
通称 キキ
階級 フライ級
スーパーフライ級
身長 168cm
国籍 ベネズエラの旗 ベネズエラ
誕生日 (1964年01月31日) 1964年 1月31日(60歳)
出身地 ベネズエラの旗 ベネズエラ
ミランダ州 スクレ市
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 51
勝ち 36
KO勝ち 20
敗け 10
引き分け 4
無効試合 1
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ヘスス・キキ・ロハス(Jesus Kiki Rojas1964年 1月31日 - )は、ベネズエラの元男性 プロボクサーである。ミランダ州 スクレ市出身。元WBA世界フライ級スーパーフライ級王者。

来歴

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1985年9月13日、プロデビュー(4回判定勝ち)。

1988年4月24日、日本のリングに初登場。後楽園ホール(同国人のWBA ミニマム級王者レオ・ガメスの防衛戦前座)で桜井靖高と対戦し、8回KO勝ち。

1989年3月1日、陳潤彦(韓国)とのノンタイトル戦で10回判定負け。プロ初黒星を喫した。

1989年9月30日、世界初挑戦。WBA世界フライ級王者フィデル・バッサ(コロンビア)に挑み、12回判定勝ち。22戦目で世界王者となった。

1990年3月10日、初防衛戦。元WBC世界ライトフライ級王者李烈雨(韓国)と対戦し、12回判定負けで王座から陥落した。

1990年12月6日、世界再挑戦(日本のリング再登場)。7月に李を破ってWBA世界フライ級王座を獲得したレパード玉熊に挑む。フルラウンドの死闘の末、引き分けで惜しくも王座返り咲きならず。

1993年4月20日、3度目の日本での試合。元日本フライ級王者ピューマ渡久地と対戦し、9回TKO勝ち。

1993年11月26日、WBAラテンアメリカフライ級王座獲得。

1994年4月10日、3年4か月ぶりの世界挑戦。WBA世界フライ級王者セーン・ソー・プロエンチット(タイ)に挑んだが、12回判定負け。

1995年11月11日、同国人で元WBA世界フライ級王者でもあるデビッド・グリマンを12回判定に降し、WBC中米カリブ海スーパーフライ級王座獲得。1996年2月17日の初防衛戦でもグリマンと再戦し、12回判定で返り討ち(この試合は空位のベネズエラ同級王座決定戦も兼ねて行われた)。その後、2度目の防衛にも成功。

1997年8月8日、2階級制覇を目指し、WBA世界スーパーフライ級王者ヨックタイ・シスオー(タイ)に挑戦したが、12回判定負け。

1998年10月3日、WBAラテンアメリカスーパーフライ級王座獲得。

1998年12月23日、ヨックタイを降してWBA世界スーパーフライ級王座を獲得した飯田覚士に挑戦。王者が5回に右肩を脱臼するというアクシデントも手伝い、12回判定勝ちで2階級制覇を達成した[1] 1999年3月28日の初防衛戦では前王者のジムの後輩でもある戸高秀樹と対戦。3回に偶然のバッティングでロハスが負傷。続く4回にドクターストップがかかり引き分け[1] 。不本意な形ではあったが、防衛に成功した。

1999年7月31日、2度目の防衛戦で戸高と再戦。1度のダウンを奪われた末の12回判定負けで王座から陥落した[1]

2001年9月1日、世界王座返り咲きを懸け、WBA世界スーパーフライ級王者セレス小林に挑戦。フルラウンドの死闘を展開したが、判定負けで王座返り咲きならず[1] 。この試合後、2年間試合から遠ざかる。

2004年3月20日、元WBA世界フライ級王者エリック・モレル(プエルトリコ)と空位のNABO北米スーパーフライ級王座決定戦を行うが、12回判定負け。この試合を最後に引退した。

通算戦績51戦36勝(20KO)10敗4分

獲得タイトル

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脚注

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  1. ^ a b c d ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年

関連項目

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外部リンク

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前王者
フィデル・バッサ WBA世界フライ級王者

1989年9月30日 - 1990年3月10日

次王者
李烈雨
前王者
飯田覚士 WBA世界スーパーフライ級王者

1998年12月23日 - 1999年7月31日

次王者
戸高秀樹

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