プリトビ・ビール・ビクラム・シャハ
プリトビ・ビール・ビクラム・シャハ Prithvi Bir Bikram Shah | |
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ネパール国王 | |
プリトビ・ビール・ビクラム・シャハ | |
在位 | 1881年 - 1911年 |
戴冠式 | 1881年 12月1日 |
全名 | プリトビ・ビール・ビクラム・シャハ |
出生 |
1875年 8月18日 カトマンズ、ハヌマン・ドーカ宮殿 |
死去 |
1911年 12月11日 カトマンズ、ナラヤンヒティ宮殿 |
配偶者 | ラクシュミー・ディビエシュワリー・デビー |
子女 | トリブバン・ビール・ビクラム・シャハ |
王朝 | ゴルカ朝 |
父親 | トライローキャ・ビクラム・シャハ |
母親 | ラリト・ラジェシュワリー・ラージャ・ラクシュミー・デビー |
宗教 | ヒンドゥー教 |
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プリトビ・ビール・ビクラム・シャハ(Prithvi Bir Bikram Shah、1875年 8月18日 - 1911年 12月11日)は、ネパール王国の第7代君主(在位:1881年 - 1911年)。第6代君主スレンドラ及び首相ジャンガ・バハドゥル・ラナの孫息子。
生涯
[編集 ]1875年 8月18日、スレンドラ・ビクラム・シャハの王子トライローキャ・ビクラム・シャハの息子として生まれる[1] 。
1881年 5月17日、祖父王スレンドラの崩御により、5歳で王位を継承した[1] 。だが、幼少であったため、実権は先王と同様にラナ家に握られていた。
1911年 12月11日、プリトビは宮殿で崩御した[2] 。父トライローキャと同様に王権を取り戻そうとしたのが、首相チャンドラ・シャムシェル・ジャンガ・バハドゥル・ラナに伝わり、毒殺されたという[2] [1] 。
その後、幼少の息子トリブバン・ビール・ビクラム・シャハが王位を継承した[1] [2] 。
脚注
[編集 ]参考文献
[編集 ]- 佐伯和彦『世界歴史叢書 ネパール全史』明石書店、2003年。
関連項目
[編集 ]ゴルカ国王 | ドラヴィヤ・シャハ1559-1570 / プールナ・シャハ1570-1605 / チャトラ・シャハ1605-1609 / ラーム・シャハ1609-1633 / ダンバル・シャハ1633-1645 / クリシュナ・シャハ1645-1661 / ルドラ・シャハ1661-1673 / プリトビパティ・シャハ1673-1716 / ナラ・ブーパール・シャハ1716-1743 / プリトビ・ナラヤン・シャハ1743-1768 |
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ネパール国王 | プリトビ・ナラヤン・シャハ1768-1775 / プラタープ・シンハ・シャハ1775-1777 / ラナ・バハドゥル・シャハ1777-1799 / ギルバン・ユッダ・ビクラム・シャハ1799-1816 / ラジェンドラ・ビクラム・シャハ1816-1847 / スレンドラ・ビクラム・シャハ1847-1881 / プリトビ・ビール・ビクラム・シャハ1881-1911 / トリブバン・ビール・ビクラム・シャハ1911-1950 / ギャネンドラ・ビール・ビクラム・シャハ1950-1951 / トリブバン・ビール・ビクラム・シャハ1951-1955 / マヘンドラ・ビール・ビクラム・シャハ1955-1972 / ビレンドラ・ビール・ビクラム・シャハ1972-2001 / ディペンドラ・ビール・ビクラム・シャハ2001 / ギャネンドラ・ビール・ビクラム・シャハ2001-2008 |
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