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フレッチャー・ヘンダーソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フレッチャー・ヘンダーソン
Fletcher Henderson
フレッチャー・ヘンダーソン(1943年)
基本情報
出生名 Fletcher Hamilton Henderson Jr.
生誕 1897年 12月18日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ジョージア州
死没 (1952年12月29日) 1952年 12月29日(55歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州
ジャンル ジャズスウィング・ジャズ
職業 バンドリーダーコンポーザー編曲家
担当楽器 ピアノ
活動期間 1922年 - 1950年
共同作業者 ベニー・グッドマン

フレッチャー・ヘンダーソン(英語: Fletcher Henderson, 1897年 12月18日 - 1952年 12月29日 [1] )は、アメリカ合衆国ジャズピアニスト作曲家編曲家

バンド・リーダーとしてルイ・アームストロングコールマン・ホーキンスなどのスター・プレイヤーを輩出した後、ベニー・グッドマン楽団の編曲を担当した、スウィング・ジャズ界の重要人物[1]

来歴

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ジョージア州生まれ。アトランタ大学卒業後、ニューヨークに渡りコロンビア大学化学を専攻。しかし、アフリカ系アメリカ人に対する差別のため、化学関係の職に就けず、ブラック・スワン・レコードに就職。同社のハウス・ピアニストとして活躍した。

1922年、自分の楽団を結成。1923年にはコールマン・ホーキンス(テナー・サックス)が、1924年にはルイ・アームストロング(トランペット)が加入し、アフリカ系アメリカ人の楽団としては異例の人気を博した。ビッグバンド・ジャズのブームを巻き起こした歴史的なバンドである。なお、アームストロングは数年で独立するが、ホーキンスは1930年代初頭に至るまで、ヘンダーソン楽団の看板奏者として活躍。また、1920年代中期には、ヘンダーソンはベッシー・スミスの伴奏ピアニストとしても活動している[2]

その後、ベニー・グッドマンと出会い、グッドマンの楽団の編曲を手掛けるようになる。1939年には自分の楽団を解散し[1] 、グッドマンとの活動が中心となった。

1950年脳卒中の後遺症による麻痺のため、ピアノを断念。1952年没。

ディスコグラフィ

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コンピレーション・アルバム

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  • 『ファースト・インプレッションズ Vol.1 (一九二四-一九三一)』 - First Impressions 1924–1931 Vol. 1 (1958年、Decca)
  • 『スイングス・ザ・シング Vol.2 (一九三一-一九三四)』 - Swing's the Thing 1931–1934 Vol. 2 (1961年、Decca) (注記)with ホレス・ヘンダーソン
  • A Study in Frustration (1961年、Columbia)
  • Hocus Pocus (1992年、Bluebird)
  • 『1931-34〜タイダル・ウェイヴ』 - Tidal Wave (1994年、GRP)
  • 『ケン・バーンズ・ジャズ〜20世紀のジャズの宝物』 - Ken Burns Jazz: Fletcher Henderson (2000年、Columbia/Legacy)
  • Sweet and Hot (2007年、Le Chant du Monde)

ベニー・グッドマン・オーケストラ・アレンジ作品

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  • Sing, Sing, Sing (1992年、Bluebird/RCA)
  • The Harry James Years, Vol. 1 (1993年、Bluebird/RCA)
  • The Best of the Big Bands (1989年、Columbia) (注記)ベニー・グッドマン名義。1933年-1946年録音
  • Genius of the Electric Guitar (1990年、Columbia) (注記)グッドマン・セクステット名義で録音するもチャーリー・クリスチャン名義でリリース。1939年–1941年録音

脚注

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外部リンク

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