コンテンツにスキップ
Wikipedia

フリードリヒ・ヴィルヘルム (シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フリードリヒ・ヴィルヘルム
Friedrich Wilhelm
グリュックスブルク公
配偶者 ルイーゼ・カロリーネ・フォン・ヘッセン=カッセル
子女
一覧参照
全名
一覧参照
  • Friedrich Wilhelm Paul Leopold
    フリードリヒ・ヴィルヘルム・パウル・レオポルト
    Frederik Vilhelm Poul Leopold
    フレデリク・ヴィルヘルム・ポウル・レオポルド
家名 グリュックスブルク家
父親 フリードリヒ・カール・ルートヴィヒ
母親 シュリーベン伯爵夫人フリーデリケ (英語版)
出生 (1785年01月04日) 1785年 1月4日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
プロイセン王国の旗 プロイセン王国、リンデナウ
死亡 (1831年02月17日) 1831年 2月17日(46歳没)
デンマークの旗 デンマーク王国
シュレースヴィヒ公国シュレースヴィヒ、ゴットルフ城
宗教 キリスト教 ルーテル教会
テンプレートを表示

フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク(ドイツ語: Friedrich Wilhelm von Schleswig-Holstein-Sonderburg-Glücksburg, 1785年1月4日 - 1831年2月17日)は、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク(グリュクスボー)公(在位:1825年 - 1831年)。新グリュックスブルク家の祖。デンマーク語名はフレゼリク・ヴィルヘルム・ア・スレースヴィ・ホルステン=セナーボー=グリュクスボー(Frederik Vilhelm af Slesvig-Holsten-Sønderborg-Glücksborg)。デンマーク王 クリスチャン9世の父、フレゼリク8世とギリシャ王ゲオルギオス1世の祖父、クリスチャン10世とノルウェー王ホーコン7世とギリシャ王コンスタンティノス1世とイギリス王ジョージ5世と最後のロシア皇帝ニコライ2世の曽祖父、フレゼリク9世とノルウェー王オーラヴ5世とギリシャ王ゲオルギオス2世とアレクサンドロス1世とパウロス1世とエディンバラ公フィリップとイギリス王エドワード8世とジョージ6世と最後のロシア皇太子アレクセイの高祖父。

生涯

[編集 ]

シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク家の一員でプロイセンの軍人だったベック公フリードリヒ・カール・ルートヴィヒとその妻のシュリーベン伯爵夫人フリーデリケ (英語版)の間の長男として、東プロイセンのリンデナウ(現在のポーランド共和国 ヴァルミア=マズールィ県 リポヴィナ (英語版))で生まれた。

若い頃に本家筋のデンマーク王フレゼリク6世とその王妃マリーに預けられた。フリードリヒ・ヴィルヘルムはフレゼリク6世から厚遇され、1810年には王妃の妹であるヘッセン=カッセル公女ルイーゼ・カロリーネ(デンマーク王フレゼリク5世の孫娘)と結婚し、義理の兄弟となった。

1816年、父の死に伴ってベック公爵位を相続した。1825年、王の許しを得てシュレースヴィヒ公国グリュックスブルク城 (英語版)の城主となり、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク公を称した。古グリュックスブルク家は1779年に断絶していたため、その家名を引き継ぐ形となった。1831年、ゴットルフ城 (英語版)で死去した。

子女

[編集 ]

ルイーゼとの間に7男3女を儲けた。

先代
フリードリヒ・カール・ルートヴィヒ ベック公
1816年 - 1825年 次代
(グリュックスブルク公へ称号変更)

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /